
「そもそも、ストリートアートって何?どうして生まれたの?」ロンドン発信、バンクシー本の著者が見た現代アート#8
あの覆面アーティストを街の文脈から読み解いた『バンクシー 壊れかけた世界に愛を』の著者・吉荒夕記の連載記事。ロンドンを知り尽くしアートや文化の旅づくりも手掛ける筆者が見た、アートの最前線とは。
これまでバンクシーについて多く取り上げてきたが、今回はバンクシーやバスキアを知るために欠かせない基礎、「ストリートアートとは何か」を誕生の社会的背景も含めて改めて振り返ってみよう。また、よく混同されるグラフィティとの違いも整理しておきたい。
美術館より古いストリートアートの起源
タイトルの「ストリートアートとは何か」への答えは、文字通りストリートのアートだ。しかし、この問答にはパラドックスが隠れている。なぜわざわざ「ストリートアート」と名乗らないといけないかというと、普通はストリートにアートはないものとして捉えられているからだ(※)。つまりわたしたちの認識の底には、「アートは美術館、教会、ギャラリー、オークションハウス、あるいは富裕層の邸宅にあるもの」という既成概念が横たわっているのである。
だが、その概念を取り払ってみれば、アートは美術館という場の誕生よりずっと昔から存在したことにはたと気づく。さらには、教会というものが世に現れる前からだ。歴史をたどると、フランスのラスコーに描かれた牛や高松塚古墳の貴婦人の絵などの例に行き当たる。どちらも壁に描かれた絵だ。つまり、ストリートアートは人類の歴史とともに存在したと言っても過言ではないのだろうか。

2万年前に描かれたラスコー洞窟の壁画
出典:https://en.wikipedia.org/wiki/Lascaux
後にストリートアートと呼ばれる表現が登場するのは、1960年代のニューヨークやフィラデルフィアだといわれる。ストリートアートには、少し前に生まれた異父兄がいる。それが「グラフィティ」だ。欧米の都会の線路脇や列車の車体などに、さまざまな色のスプレー缶やペイントを使って所狭しと落書きされた文字といえば、イメージが浮かぶだろう。その文字は、それを書いた者(彼らは自分たちのことをグラフィティ・ライターと自称する)の名前を示しており、グラフィティ・ライター間では、「タグ」と呼ばれる。

KAWSのタグ(2005年)
出典:https://soldart.com/a/kaws/
グラフィティとストリートアートを異父兄弟と言う訳は、双方とも低所得層が住む街の路上を母体としたからだ。路上とは、使われていないビルの外壁、鉄橋、列車の車体、シャッター、バス停、電話ボックスなど、戸外にあるあらゆる余白を含む。それらは公共物か他人の私物だから、違法行為に他ならない。当然ながら、周辺社会もストリートギャングたちの破壊行為と非難し、倦厭した。ではなぜリスクを犯し、近所のコミュニティーに嫌われてまで、そんなところに表現するのだろう?この問いに対する答えもまたシンプルで、貧困層の若者にとって、そこしか自己表現の場がなかったからに他ならない。

NYロウアー・イースト・サイド
出典:https://en.wikipedia.org/wiki/

NY 地下鉄の様子(1973年当時)
出典:https://en.wikipedia.org/wiki/
ストリートアート誕生の社会的背景
もう少し広いバックグラウンドをみてみよう。第二次世界大戦後のアメリカ経済の急成長は、60年代に入ると、徐々に陰りを見せ始めていた。負の影響をまともに被ったのは、仕事を求めて大都会に移住した、黒人やヒスパニック系の貧困層である。彼らは急激に拡大する都会の陰で、寄り添いながら暮らし、助け合うためにコミュニティーをつくった。そうしたエリアに住む若者たちは、十分な教育を受けられない上に就労も極めて厳しく、周囲は貧困問題と犯罪の巣だった。自分の力では抜け出せない現実、描けない将来に、彼らは強い憤りを感じていた。そんな若者たちにとって、ストリートはエネルギーを吐き出す場だったのだ。
ところで、タグを残す行為は自分が今ここに存在するという、世間に向けてのマーク(印づけ)である。社会から差別され、見捨てられた若者にとって、自己肯定のために必要なのは、自分も社会の一員だと声をあげること。だから自分の名前を書く。他者の目を惹くには、必然的に戸外になる。気づいてもらうためには、目立つ方がいい。なるべく大きく、なるべく高い位置に、なるべくたくさん、そして誰よりもカッコよく。腕をみがき、競い合い、仲間ができ、影響を与え合い、独自のスタイルを作っていった。スタイリッシュな文字が絵のような表現になることも自然な流れだったに違いない。
有名なストリートアーティストたちの中には、元々グラフィティライターだった人が少なくない。バンクシーもバスキアも、路上から、そして文字から始まった(ちなみに「BANKSY」もタグ)。ストリートアートは、そのように鬱屈した若者たちの自己表現として、道端に根を張り力強く成長していったのである。
ストリートアートとグラフィティの違い
路上を母としながら、兄弟は性格を異にした。グラフィティの方は、はじめは読める文字だったのだが、固有のスタイルを生み出そうとするために、判読が困難になっていく。結果的に、アピールできるのはライター仲間に限られるようになった。そもそもが、技術やスタイルの競い合いであり、自己顕示にすぎなかったから、はじめから見せる対象は限定的だったと言ったほうがよいだろう。また、表現方法も、ステンシルより技術を要するフリーハンドが好まれる。振り返ってみれば、グラフィティはその誕生から半世紀以上もの歳月を経たわけだが、たとえ街の開発が進み、ガラス張りの近代建築が立ち並ぶようになっても、別の地区に活動の場を移し、世代を超えて受け継がれ、発展している。デジタル化・ヴァーチャル化が進む今日も、極めて物理的かつ直接的なこの表現が欧米の街角から消え去る気配はない。
片や、ストリートアートは文字ではなく、メッセージ性のある絵だ。路上表現者は高度な美術教育を受けていないことが一般的なので、彼らのインスピレーションや模倣の元になるのも、身近にあるコミックやアニメが多い。グラフィティと比べると表現方法は多様で、フリーハンドだけではなく、ステンシル、ステッカー、ポスター、彫刻的、インスタレーション的なものまである。アピールする対象も、街の住民、道行く人々と、もっと幅広い。そこは裕福なエリアではないから、美術館という高尚な場所には足を運ばない人々、アート・リテラシーをもたない人々が大半だ。だから、ストリートアートのメッセージは分かりやすく、ストレートでパワフルである。メッセージの内容も、発信側と受信側の双方が共有・共感できるものになる。バンクシーの作品にみられるテーマが、環境問題、人種差別問題、貧困問題、商業主義、権威者たちの不正など社会的弱者に寄り添ったものが多いのはその所以だ。
サブカルチャーのスターたち
性格を異にする兄弟が生まれた街には、彼らを育む滋養があった。ヒップホップ、ブレイクダンス、スケートボードなどのユース・カルチャーだ。新しい表現はジャンルを超えて互いに影響しあい、融合し、特有のカルチャーをつくりあげた。そして、瞬く間に米国全体に飛び火し、国境を超えて世界の都市にも広がっていった。サブカルチャーのもつバイタリティーの為せる技だろう。その勢いにメディアが注目しはじめ、やがてアート界のメインストリームもこの現象を無視できなくなった。そのようなムーブメントを先導するように、サブカルチャーのスターが誕生する。それが、1960年後半ニューヨークで登場したバスキアやキース・ヘリングである。次の機会には、ぜひ、彼らの路上時代の活動を掘り下げてみたいと思う。

ジャン・ミシェル=バスキア(1983年)
出典:https://www.theguardian.com/

《Crack is Wack》キース・ヘリング(1986年 )
出典:https://untappedcities.com/
ならず者だったストリートアートは、1990年代に入ると、少しずつ社会やアート界に受け入れられるようになった。当初の主役は貧民区に住む移民の若者たちだったのが、高い美術教育を受けた若手のアーティストたちの中にも、ストリートで活動を始める者が現れるようになった。キース・ヘリングもその一人だ。彼らは、ストリートアートにこれまでの美術の枠を超えた新しい可能性を見出したのだろう。路上でのアート制作が活発になればなるほど、ストリートアート全体の量も質も高まり、かつての寂れた街は活性化し、そこに住む人々にコミュニティーの結束力や希望を与え、ますます社会的な評価を受けるようになったのである。
街に生きうるストリートアートの生命力
今や、欧米、中南米、オーストラリアなどの主要都市には必ずといっていいほど、ストリートアートの街がある。その出自ゆえ、やはり歴史的に貧しいエリア、移民の多い地区だ。しかし、そういう街は負を背負うからこそ、バイタリティーとクリエイティビティーが息づいている。ストリートアートはその街の地理的条件や歴史、そこに住む人々と生きているため、土地に根ざした豊かな表現がみられる。
日本ではバスキア、キース・ヘリング、バンクシー、KAWSといったスターたちの名が知られるようになったが、残念ながらまだまだストリートアート全体に対する認知度は低い。しかし、街を母体とするその生命力は驚くばかりで、次々と新しい表現が生まれている。なにより、ごく一握りの高学歴・高収入で教養ある人々のものだったハイ・アートに比べ、ずっと広いオーディエンスに発信するメッセージ性とコミュニケーション力をもっている。
コロナ禍の時代にも、ストリートアーティストたちは手を止めることはなかったし、今まさに議論されている社会問題をテーマにしてすぐさま路上に表現し、街行く人々と共有し、問いかけ、励ましている。2022年は、いったいどんなストリートアートが街に生まれるだろう。みなさんと一緒に見守っていきたい。

ZABOU (2020年) ロンドンにて

LUAP(2020年)ロンドンにて
(※)公園などで戸外の彫刻作品も目にするが、こちらはパブリック・アートと呼ばれ、著名な彫刻家がコミッションを受けて制作するか、購入後に設置されるものでストリートアートとは区別される。
前回の連載記事はこちら↓
【PROFILE】吉荒夕記
1959年生まれ。2007年ロンドン大学大学院美学学部卒。学術博士取得。大英博物館アジア部門にてアシスタント・キューレターとして勤務。2012年、ロンドンを拠点にアートローグを設立。文化の旅の提案やコーディネート業をしながら、ミュージアムにて在英邦人向けに歴史・美術史を教える。また、ミュージアムの社会的な意義やストリートアートのメディア的な役割に関心を寄せ、執筆活動を続ける。主著『美術館とナショナル・アイデンティティー』(2014年/玉川大学出版部)、『バンクシー:壊れかけた世界へ愛を』(2019年/美術出版社)


文・写真:吉荒夕記