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特別連載

「クリスマス、サンタのように忙しいバンクシー」ロンドン発信、バンクシー本の著者が見た現代アート#7

特別連載

あの覆面アーティストを街の文脈から読み解いた『バンクシー 壊れかけた世界に愛を』の著者・吉荒夕記の連載記事。ロンドンを知り尽くしアートや文化の旅づくりも手掛ける筆者が見た、アートの最前線とは。

クリスマスの季節が訪れると、バンクシーは決まって活発になる。活動の領域は、ストリートからポップアップ・ショップ、パレスチナと幅が広い。クリスマスはバンクシーにとってどんな特別な意味をもつのだろう。過去の活動から探ってみたい。

ホームレスのおじいさん、トナカイのソリに乗る

寒空の下、服をたくさん着込んで、いつものベンチで眠っていた。ふと気づいたら、トナカイに引っ張られ、星降る空を飛んでいた。・・・でも、ああ、やっぱり夢だったんだ。冷たく硬いベンチの上、大きな荷物を枕に横たわったままの自分。すぐ脇では家路を急ぐ車がビュービュー行き交っている。

2019年12月に、バンクシーが鉄橋の黒壁に残した作品の映像を見ていると、ホームレスの老人のそんなセリフが聞こえてきそうだ。場所は、クリスマスの飾り付けが眩いバーミンガム中心部から少し離れた産業地区の路上。カメラは白ひげのホームレスがベンチに横たわる様子を映すやいなや、徐々にズームアウトしながら、今度はベンチの横に空駆ける二頭のトナカイを描いた壁の絵を捉える。柔らかな音色のクリスマス音楽を流し、その場限りの少しセンチなファンタジーを作っている。まるで、マッチ売りの少女を思わすような。

無題》(2019年)
出典:https://www.birminghammail.co.uk/

しかし、ここには現実に基づいたバンクシーのまっすぐなメッセージがある。作品が発表された年、英国のホームレスの数は32万人という記録史上最高値に達していた。イングランド中部に位置するバーミンガムは、18世紀から産業革命で栄え、人口数では第三の規模を誇る。しかし、1980年以降、英国政府が経済の牽引役を製造業から金融や保険サービスにシフトした結果、かつての産業都市は経済停滞を被ることになった。市は真剣に対策に乗り出し、それなりの効果を得たものの、コロナ渦もあって2020年には15人ものホームレスが路上で亡くなったことをローカル紙は伝えた。

バンクシーはクリスマスの時期にアート活動をすることが多い。空を舞う煤煙を、小さな舌をだして雪のように舐める男の子の絵も、2018年のこの時期に南ウェールズのポート・タルボットという町の外壁に残された。クリスマスカードに使われるようなイメージをモチーフにしながら、近隣にある工場の空気汚染の問題を訴えたのだ。

《無題》(2018年) 
出典:https://news.artnet.com/

バーミンガムのトナカイ作品と同じ2019年には、パレスチナ・ベツレヘムにあるバンクシーが建てたホテル「ザ・ウォールド・オフ・ホテル」に、クリスマスプレゼントを贈っている。それは、藁の中に寝かされた幼子イエスとイエスを囲む聖母マリア、ヨゼフ、牛、ロバを象った、お土産屋に売っていそうな小さな置物。そして、その背後にイスラエル政府が建立したコンクリート分離壁が立っているのだが、壁には銃弾の跡がある。作品名《Scar of Bethlehem(ベツレヘムの傷)》は、キリスト降臨の話に出てくる「Star of Bethlehem (ベツレヘムの星)」をもじっているのは疑う余地もない。今年のこの時期も、ホテルのロビーに飾られているのだろう。

Scar of Bethlehem》(2019年)
出典:https://edition.cnn.com/

Santas  Ghetto

クリスマスの時期にバンクシーの活動が勢力的になる傾向は、近年だけではなく、彼のキャリアの初期から見受けられた。その良い例が2002年から2007年までの毎年この時期に、バンクシーの当時のエージェント「Pictures on Walls」が開催した「Santa’s Ghetto: サンタズ・ゲットー」だ。それは、プロのギャラリストを介さず、ロンドンの色々なエリアの空き店舗を一時的にポップアップ・アートショップに仕立て、バンクシーやその仲間たちの作品を売るイベントだった。

誰もが気楽に買える価格帯という謳い文句の通り、1点が£35〜£500(約5千円〜8万円)(注1)で売られており、広い宣伝活動をしていなくても大きな成功を収めた。バンクシーは、モナリザのパロディーや『ヘンゼルとグレーテル』の話にマイケル・ジャクソンが魔女として登場する絵、雪原でセックスする雪だるまカップルを描いた絵など、ショッキングで皮肉の効いたものを出品した。他にも、3D やKennard Phillips、Antony Micallefなど、アンダーグラウンドのアートシーンで活躍する20名ほどのアーテイスの作品も並んでいた。

出典:https://banksyexplained.com/

サンタズ・ゲットーを行うようになったきっかけについてバンクシーは、「クリスマスの精神が薄れているように感じたから」だという。キリスト教が文化的基盤にある社会で、彼が言う「クリスマスの精神」とは隣人に対する慈愛を意味する。つまり、欧米におけるクリスマスプレゼントを贈る習慣は、本来は誰かのために何かを与える行為やその精神性を指しているわけだ。イギリスの小説家、チャールズ・ディケンズの『クリスマス・キャロル』にみられるように、社会的に弱い立場にいる人々へ思いやりの気持ちが尊ばれるのである。

サンタクロースのモデルとなった聖ニコラスが貧しい家の三人の娘たちを救うために、三つの金の袋を与えた逸話も、クリスマスの精神性を象徴的に語っている。ところが、近年その根底にあった精神が薄れ、クリスマスプレゼントの習慣は形骸化し、クリスマスといえば、人々は過剰にショッピングに走る傾向が強くみられる。その裏には商業主義や大量消費文化が横たわり、大衆はコマーシャリズムに踊らされているというのも、広く言われている批判だ。かつてサンタズ・ゲットーで売られていたバンクシーの次の作品からも、ストレートで辛辣な警告が読み取れよう。

(仮称)《ショッピングバックをもったキリスト》(2004年)
アムステルダムのバンクシー展にて

しかし、サンタズ・ゲットーが結局はショッピングの場なら、コマーシャリズムという同じ穴のムジナにいるわけで、バンクシーのコンセプトには矛盾があると指摘する人も少なくないだろう。だが、そこで扱われた作品は社会的批判を込めたものが大半だ。アートが人々にメッセージを伝え、享受するメディアならば、それは単なる消費物ではなく、わたしたちが陥っている現状について考え直す重要なきっかけを提供しているとはいえないだろうか。また、サンタズ・ゲットーはショールーム/ギャラリーとしての機能を果たしており、そこで十分にメッセージを発信していることも見落とせない。

2006年のサンタズ・ゲットーは、ロンドンの一大ショッピング街であるオックスフォード通りに登場した。クリスマス前の目貫き通りの激烈な商合戦や狂ったように買い物に走る人々の様子と、ゲットーがもつコンセプトとのコントラストが、奇妙に浮き立ったことだろう。

「Santa’s Ghetto」の「Ghetto(ゲットー)」とは、元々ユダヤ人街を意味し、やがて一般的に貧民区のことをさすようになったのだが、ヒップホップのスラングでは「環境に対する反骨」という、むしろポジティブな意味をもっている。つまり、まさに大量消費文化という環境のまっ只中にあるからこそ、バンクシーたちのコンセプトが効果的に浮き彫りになったに違いない。

さびれたジュエリー街のクリスマス

バーミンガムのトナカイの絵に話を戻そう。このストリートアートが残されたのは、ジュエリー・クォーターという地区で、名前の通り、19世紀からジュエリー産業で栄えた街だ。ひと頃は、ジュエリー製造ではイギリス全体の40%を担い、3万人を超える雇用を生んだ。しかし、第二次世界大戦後の外国との競争で、その活力はすっかり衰退してしまった。

バーミンガムの中心地から離れているという立地もあり、街を歩いても、名前ほどのきらびやかさはもう感じられない。閉まっている家屋が並んでいるのを見れば、失業者をたくさんだしていることも容易に推測できる。それでもメインストリートには、生き残った小さなジュエリーショップが点々と立ち並び、馴染みの客たちがポツポツと出入りしている。クリスマス用に飾られたショーウィンドーには、ジュエリーボックスをトナカイのソリに載せたサンタクロースの人形が置いてある。

ジュエリークォーターの町並み

店舗のショーウィンドウ

バンクシーが残したトナカイのストリートアートは、そんな町並みの延長にあるわけだが、この立地を選んだのもストリートアートが「場」に生きていることを熟知したバンクシーならではだと思う。クリスマスの時期ほど、商業主義や大量消費がはっきりと露呈する時はあるまい。同時に、この時期だからこそ、持てる者と持たざる者のギャップが際立つ。適切な時と場を狙って、メッセージにふさわしい内容の作品を、路上に残す彼の戦略は見事だ。アート・リテラシーがなくても読み解ける彼の表現は、街行くひとりひとりにまっすぐに伝わることだろう。さらに、SNSを通す事によって、世界的な経済格差の時代を生きる人々に考えさせるきっかけを与えたのではないだろうか。

(注1)バンクシーの作品も同じ価格帯なのか不明だが、今に比べたら大変買い安かったのは間違いない。

前回の連載記事はこちら↓

【PROFILE】吉荒夕記 
1959年生まれ。2007年ロンドン大学大学院美学学部卒。学術博士取得。大英博物館アジア部門にてアシスタント・キューレターとして勤務。2012年、ロンドンを拠点にアートローグを設立。文化の旅の提案やコーディネート業をしながら、ミュージアムにて在英邦人向けに歴史・美術史を教える。また、ミュージアムの社会的な意義やストリートアートのメディア的な役割に関心を寄せ、執筆活動を続ける。主著『美術館とナショナル・アイデンティティー』(2014年/玉川大学出版部)、『バンクシー:壊れかけた世界へ愛を』(2019年/美術出版社)

文・写真:吉荒夕記