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特別連載

【特別連載】ロンドン発信、バンクシー本の著者が見た現代アート<4>アートを買う文化を育てるロンドン「夏の展覧会」

特別連載

あの覆面アーティストを街の文脈から読み解いた『バンクシー 壊れかけた世界に愛を』の著者・吉荒夕記の連載記事。ロンドンを知り尽くしアートや文化の旅づくりも手掛ける筆者が見た、アートの最前線とは。

ロンドンにある美術学校、ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツの世界最古で最大規模の公募展「Summer Exhibition 2021」、いわゆる「夏の展覧会」が2022年1月2日まで開催中。これまで約250年もの間一度も休む事なく開催されてきた本展は、市民に広く親しまれているのに加え、美術を鑑賞して「作品を購入する」という文化を生み出す原動力にもなる展覧会である。まだコロナ禍が落ち着かない2021年の「夏の展覧会」を取材し、その魅力や持続の理由を探ってみよう。

「Summer Exhibition 2021 」展示風景

これは誰の作品?

A「今年は、明るい絵が欲しいな。コロナの暗い時を吹き飛ばしてくれるような」
B「これなんかどう? キレイな色の蝶たちが3Dで飛んでて」
B「よく見ると、この絵、奥に女性の顔がある。しかも、マスク着けてる!」
A「いいわね。明るくて開放的で。しかも、コロナを乗り越えたって覚えておけるし」

初老の女性たちがみている絵の下には、売れた事を示す赤い丸が並んでいる。

B「結構たくさん売れてるわよ」
A「ほんとだ。わたしも買おうかな。いくらかしら?」

《SWARM 2020 – A Souvenir of the Plague Year》(2020) by Alexander Korze-Robinson

2人は小さなカタログのページをめくった。

B「397番。タイトルは、えっと、《疫病の年のお土産》だって! 値段は£250(約37000円)。お手頃ね」
A「さあて、どの部屋に飾ろうかな?」

私がいるのは、ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツ(以降RAと略す)で開催中の「夏の展覧会」会場。コロナ規制を理由に延期されたため、今年は秋の開催となった。

会場を見渡せば、18世紀貴族邸の豪奢な佇まい。高い天井には金色の装飾が施され、その天井からオークの床まで、壁一面におびただしい数のアート作品が飾られている。絵画、写真、版画、タペストリー、立体、ビデオ・・・メディアも多様なラインナップだ。別の部屋には、彫刻作品や建築のモデル作品も。9つの展示室には大小含め、1,382点もの作品が展示されている。

「Summer Exhibition 2021」展示風景

「夏の展覧会」とは?

世界最古の歴史

RAの「夏の展覧会」は、誰もが出品できる公募展である。しかし、著名なアーティストのRA会員によって構成された審査委員会でパスした作品だけが展示される仕組みであるため、展示内容に対する社会的信頼性や将来性も高い。現役アーティストたちの最新作を鑑賞できるだけではなく、気に入った作品をその場で購入できる点もこの展覧会の特徴だ。

1769年からの長い歴史をもつこの展覧会は、公募展としては世界最古であり、最大規模を誇る。2020年、2021年はパンデミックのために秋に延期されたが、大戦時も含めて252年の間、開催されなかった年はないという。

《ロイヤル・アカデミーのプライベイト・ビュー》(1881)by William Powell Frith
1881年の展覧会の様子を描いた絵 画像引用:https://en.wikipedia.org/

「開かれた」公募展

本展には、日本の展覧会ではあまり見られない興味深い点が2つある。まずひとつ目は、作品のそばに作家名・タイトル・材料・価格などの表示がない事。あるのは通し番号のみ。先程の会話からわかるように、入り口で渡される小さなカタログで番号を照合させ、情報を得るのだ。

ふたつ目に、作り手が名の知れたアーティストかどうかは、展示構成に反映されない事。つまり、日曜画家の作品の隣に、トレーシー・エミンやデビット・ホックニー、アンゼルム・キーファーなど世界的に著名なアーティストの新作が並ぶというわけだ。

「Summer Exhibition 2021 」展示風景(右の巨大な作品はアンゼルム・キーファーの最新作)

伝統ある「夏の展覧会」が常に新鮮で開放性を感じさせる所以は、このデモクラティックで開かれた環境、そしてオーソリティーの重みを払拭していることにある。

さらに、この展示方は鑑賞のあり方にも影響を及ぼす。なぜなら訪れた人々は、アーティスト名から作品を観るのではなく、ひとつの作品と“ストレートに対峙”することになるからだ。情報という先入観がないからこそ、観る者にとっても、観られる作品にとっても、率直で真剣な出会いになるといえないだろうか。このように、250年以上続くアートと市民が出会う場は、アーティストたちに研鑽の機会を与えてきただけではなく、一般市民の鑑賞力を伸ばし、ひいては美術を愛でる文化を育ててきたか、もしくは言い換えれば、いかにアートがイギリス社会に根付いてきたかを理解することができよう。

展覧会とダイバーシティー

今年は、会場全体を周りながらアフリカっぽい感じの作品が多いという印象を強く受けた。展覧会のカタログやポスターもそのイメージを前面に打ち出している。

「Summer Exhibition 2021 」展示風景

「Summer Exhibition 2021 」展示風景

「Summer Exhibition 2021 」カタログ

そうなった背景には、時代や社会の大きな「文脈」が横たわっているのではないだろうか。その文脈とは、2020年に始まった世界的ムーブメント、ブラック・ライブズ・マター(BLM)だ。政治、経済、教育、福利などすべての面において、黒人の人権は軽視されてきたわけだが、同じ事がアートの世界にもいえる。それは大変重要な事柄だが、今回の記事のテーマではないので、深入りはしない。ただ、補足するならば、「アートとは白人の男性によるもの」という共通認識がこれまでの西洋社会で蔓延り、近年やっと見直されてきたという現況がある事を抑えておきたい。つまり、BLMが世界的スローガンになったという社会背景を受けて、この「夏の展覧会」も真剣に取り組む事にしたのである。

本展のチーフオーガナイザーであるインカ・ショニバレは、展覧会HPで「多様なコミュニティー(筆者注:非西洋人や移民などの)がここを訪れる事ができ、自分たちも含まれていると感じられる」ような展覧会にしたいと語る。つまり、壁に飾られた作品の多様性だけではなく、来館者のダイバーシティ―(多様性)<注>をめざしているわけだ。

「Summer Exhibition 2021 」展示会場 
前景:銅像はRA初代総長ジョシュア=レイノルズ(アフリカ染のタスキをつけて)

未だコロナの影響もあって今年は全体的に来館者が少ないため、客観的な判断は難しい。しかしながら、毎年のようにこの展覧会に足を運んできた私の目には、フロアーにいるのは白人ばかりだった10年前に比べれば、いろいろなバックグラウンドの人々が増えてきた気がする。伝統ある「夏の展覧会」は、常にその時代の社会を反映し、今の人々の中にこそ生きようとしている。それこそが、この展覧会の生命力ではないだろうか。

<注> ダイバーシティーという言葉は、近年日本でもよく耳にするようになった。しかし、未だに多くの場合、障碍者を指す事が多い。片や西洋では、人種、宗教、セクシャルオリエンテーションなど広い意味で使われる。

過去の連載記事はこちら↓

【PROFILE】吉荒夕記 
1959年生まれ。2007年ロンドン大学大学院美学学部卒。学術博士取得。大英博物館アジア部門にてアシスタント・キューレターとして勤務。2012年、ロンドンを拠点にアートローグを設立。文化の旅の提案やコーディネート業をしながら、ミュージアムにて在英邦人向けに歴史・美術史を教える。また、ミュージアムの社会的な意義やストリートアートのメディア的な役割に関心を寄せ、執筆活動を続ける。主著『美術館とナショナル・アイデンティティー』(2014年/玉川大学出版部)、『バンクシー:壊れかけた世界へ愛を』(2019年/美術出版社)

文・写真:吉荒夕記