
【特別連載】ロンドン発信、バンクシー本の著者が見た現代アート<3>バンクシーが「この場所」を選んだワケ:フェルメールのパロディー作の場合
あの覆面アーティストを街の文脈から読み解いた『バンクシー 壊れかけた世界に愛を』の著者・吉荒夕記の連載記事。ロンドンを知り尽くしアートや文化の旅づくりも手掛ける筆者が見た、アートの最前線とは。
ストリートアートは作品が残された「場所」と切っても切り離せない。『イヤー・ドラムの少女』(通称)に込められたバンクシーのメッセージを、ブリストル貿易港の時計塔という背景との繋がりから読み解いてみよう。
バンクシーのストリートアートの中で、もっとも人気のあるパロディー作品といえば、あのフェルメールの《真珠の首飾りの少女》をもじったものが思い出されよう。2014年、彼の故郷である英国ブリストルの波止場のある外壁に描かれた作品だ。

《無題》(通称『イヤー・ドラムの少女』)(2014年)
人気の理由は、まずは元ネタが誰もが知る世界的な名画であること。パロディーは模倣対象に捻りを加えて、そこに皮肉やユーモアを含ませる表現だが、オリジナルがどれだけ社会に認知されているかが成功の鍵だ。
17世紀オランダが生んだこの画家は、美術史上で重要なアーティストであり、作品の希少性ゆえに彼が残したものには価値がある。巨大な宗教画でも王侯貴族の肖像画でもないから、誰にでも親しみやすいし、なんといってもフェルメール特有の穏やかで静謐な空間が人の心を魅了する。純朴な少女のまなざしの一瞬をキャプチャーした《真珠の首飾りの少女》は、そのシンプルさや捉え所のない表情ゆえに、画家の代表作といってもよい。パクるなら、誰もが知っているイメージ。バンクシーはそのことをちゃんと知っている。外壁いっぱいにステンシルで描かれたバンクシーの少女も、唇を少し開き、つぶらな瞳でこちらを見ている。
本作において、バンクシーは少女の耳飾りを「真珠」から「セキュリティーアラーム」に置き換えた。フェルメールの絵では、大きな真珠が少女の瞳と同じように輝き、暗い背景の作品全体を引き締めている。ところが、バンクシー作で彼女の耳を飾るのは、セキュリティアラーム。もともと、壁に取り付けてあった六角形の黄色いボックスだ。バンクシーがそこにアラームがあるのを狙って、この絵を描いたのは疑う余地がない。モノクロのステンシルで描かれた作品に、立体的なセキュリティーボックスが、まるでダイヤモンドのように目立つ。しかし、近辺で事故が起きてアラームが鳴れば、かわいそうなことに少女の”鼓膜”は破れてしまうだろう。この「イヤー・ドラム(Eardrum)」とは、日本語で「鼓膜」の意味。これが、地元の人々が『イヤー・ドラムの少女』という通称をつけた所以だ。
しかしながら、バンクシーの真のメッセージは、愉快犯的な痛快さにあるのではない。ストリートアーティストは、政治的メッセージ性を作品に込めることで知られているが、ここでは、現在の監視社会に対する鋭い警告が込められているのではないだろうか。ちょうど、バンクシーがCCTVカメラ(監視カメラ)をよく槍玉にあげるように。
CCTVカメラもセキュリティーアラームも、近視眼的には犯罪を防ぐのが直接的な存在理由だが、俯瞰してみれば、お互いがお互いを監視する窮屈な全体主義的社会の道具とも批判される。そのような現在のテクノロジーが社会的不平等を助長するリスクがあることも、さまざまな社会学者や犯罪学者たちが警鐘を鳴らしている。

《無題》(通称『One Nation under CCTV』)(2009年)
画像引用:https://en.wikipedia.org/wiki/File:Bansky_one_nation_under_cctv.jpg
さらに重要なのは、作品が残された土地の歴史背景とも呼応している事だ。『イヤードラムの少女』が描かれた外壁は、ブリストルの貿易港の船着場のひとつアルビオン・ドックの一角にある、古い時計塔の建物にある。一般的に時計塔と言うと、学校や教会、市庁舎などに組み込まれた場合に見られるように、市民生活をスムーズに促す有益な道具であり、それと同時に規律や管理を象徴するものともいえる。
ロンドンの国会議事堂、ベックベンと呼ばれる塔(正式名エリザベスタワー)は、かつて政治犯が収監されていたことも、時計塔の社会的役割を示唆する。そして、1970年にドックとしての役割を閉じたこの時計塔も、かつて湾岸で働いた労働者たちを監視・管理する重要なシステムであり象徴だったはずだ。

ブリストル、アルビオン・ドックの現在の風景

かつてのアルビオン・ドックの風景:現場に飾られた歴史パネルから
ストリートアートは、本来、その土地や歴史、そこに生きる人々の生活の中で読み解くからこそ意味をなし、アーティストのメッセージが伝わる表現である。作品が現場から剥ぎ取られ、別の場所に設置された途端に、その意味は半減してしまう。ストリートアートの他にない魅力は、そのコンテキストとの繋がりにあるのではないだろうか?
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【PROFILE】吉荒夕記
1959年生まれ。2007年ロンドン大学大学院美学学部卒。学術博士取得。大英博物館アジア部門にてアシスタント・キューレターとして勤務。2012年、ロンドンを拠点にアートローグを設立。文化の旅の提案やコーディネート業をしながら、ミュージアムにて在英邦人向けに歴史・美術史を教える。また、ミュージアムの社会的な意義やストリートアートのメディア的な役割に関心を寄せ、執筆活動を続ける。主著『美術館とナショナル・アイデンティティー』(2014年/玉川大学出版部)、『バンクシー:壊れかけた世界へ愛を』(2019年/美術出版社)

文・写真:吉荒夕記