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特別連載

【特別連載】ロンドン発信、バンクシー本の著者が見た現代アート<1> ロックダウンでも大活躍、BANKSY! 

特別連載

あの覆面アーティストを街の文脈から読み解いた『バンクシー 壊れかけた世界に愛を』の著者・吉荒夕記の連載記事。ロンドンを知り尽くしアートや文化の旅づくりも手掛ける筆者が見た、アートの最前線とは。

コロナ禍はアーティストたちの活動を制御してしまったことだろう。単にフィジカルな動きが不自由になるだけではなく、精神的にも制作意欲が下がる。振り返れば、世界大戦や大災害が起こった後、芸術家たちは、「いったいアートに何ができるのか」と立ち止まることが多かった。アートは造る行為なのに、大戦や災害はとてつもない破壊だから、その不条理が個々の造り手たちの前に立ち塞がってしまう。しばらくしたら、歴史を塗り替えるような大変化が新しい表現を生むこともまた事実なのだが。

そんな渦中にあっても、ストリートアーティストたちはすこぶる元気がいい。屋外での不法活動がやりやすいからではない。そうではなくて、彼らの活動が、路上という生きられた現実世界であり、今という生きられた時に対するスポンテニアスな反応だからだ。あのバンクシーなら、黙っているわけがないと思ったわたしの推測は、みごと的中した。コロナ禍に見舞われた2020年から、未だ収束/終息に程遠い2021年の現在まで、驚くほど活発に制作してきた。この記事では、この未曾有の時のバンクシーの活動やその作品が社会に与えた影響を振り返ってみたい。

コロナ禍の、バンクシーの活動

わたしが住むイギリスで、最初にロックダウンが宣言されたのは2020年3月16 日。その夏、一旦解除があったものの、また晩秋から第二波が訪れ、再び、全国民が長い巣ごもり生活を強いられるようになった。実質的にほとんどの制限が解除され、市民生活が戻ってきたのが翌2021年7月19日である。バンクシーは、その1年と4ヶ月の間に、公表されただけでも、実に8回の表現活動をしている。この回数は2018年や2019年の時よりも多い。確かに、はじめの頃は自分のインスタグラム上で作品発表する活動が中心だった。しかし、2020年夏に制限が一時解除された後は、再び移動が制限されるようになっても、ストリートアート活動を続けている。例えば、イングランド中央部のノッティンガムにフラフープする女の子、自分の故郷のブリストルにくしゃみするおばさん、ロンドン郊外の中型都市レディングに脱獄する囚人といった具合に。

ロックダウン中の彼の活動をテーマから振り返ってみると、イギリスの国民皆保険医療システムのNHSに寄贈した『Game Changer』のように、コロナ禍を背景とした作品、そして、コロナと時を同じくして世界的な社会現象になったブラック・ライブズ・マタ−(BLM)をテーマにした作品、長引くシリア難民問題をテーマにした作品がある。今まさに起こっている社会的関心に対する即座な反応、口舌を緩めぬ警告には、ストリートアーティストとしての粘り強い意気込をみることができよう。その中で、ロックダウンという人の一生で前代未聞ともいえる状況だからこそ、表現者として内側からエネルギーが噴出した作品が2点あった。ひとつは、2020年4月、閉鎖が宣言されてから最初に公表された作品で、洗面所の壁にねずみたちが暴れ回る様子を描いたもの。もうひとつは、制限が一度解除された直後の同年7月に地下鉄の車両内に描かれたストリートアートとそれを記録した映像作品だ。

ロックダウン下のネズミの夫婦 

どちらも、主人公になるのはネズミだ。よく知られるように、ネズミはバンクシーの分身だから、自らを見つめ直した作品ともいえる。まず、洗面所の壁に描かれた作品群は、オシッコを撒き散らしたり、トイレットペーパーを車輪のように回して遊んだり、照明の紐にしっぽを巻きつけ、ブランコ遊びをしたりと、ネズミたちがイタズラし放題。洗面所は散らかり放題。注目すべきは、鏡に映り込んだネズミだ。まるで、反対側の壁に落書きの真っ最中、背中に視線を感じて、はっと振り向いた瞬間のよう。このネズミが書いているのは、数えるための記号。日本なら「正」の字が5つを示し、その塊を繰り返して、総数をひと目で把握する方法の西洋版だ。縦に四本、それを切るように斜めの線をいれ、5とする。時間感覚がなくなる独房の中で、囚人が今がいつかを理解するための落書きというイメージが定着している。つまり、ロックダウンの鬱屈した日々を監獄生活になぞらえているわけだ。ちなみに、当該作品で、縦が三本しかないのは、ネズミの指が4本だからだろう。

鏡というトリックも深い洞察を促す。美術史上の名作、ヤン・ファン・エイクの《アルノルフィニの夫妻の肖像画》や、ベラスケスの《ラス・メニーナス》の表現を思い出させるからだ。それらの作品では、背景中央に鏡を描くことで、主たるモデルと鏡の映り込みと鑑賞者の眼差しの間に関係性を浮かび上がらせ、わたしたちのイマジネーションを刺激する。ストリートアートは、アートリテラシーのない人をもメッセージを送る対象としながらも、バンクシーは意図的に美術史的な意味付けと絡ませているのか、あるいは偶然にすぎないのか。いずれにしても、このストリートアーティストが、美術史上に登場する画家たちが世代を超えて影響を与え合い、構築してきた歴史を学んでいるのは間違いない。

Banksy《My wife hates it when I work from home》2020
画像引用:https://www.bbc.co.uk/

ところで、この作品には、《家で仕事をしていると、妻が嫌がるんだよ》というアーティストによるタイトル/コメントがつけられている。素直に読めば、自分は路上を仕事場とするストリートアーティストなのに、外で活動ができないから、自宅で所構わず描きまくっていると、妻がご機嫌斜めだと訴えているように理解できる。だが、この状況は、ロックダウン中、どの家庭でも共有された体験ではないか。この作品をみた多くの人が、そこに自分の家庭状況を写し出しながら、ほくそ笑んだのではないだろうか。バンクシーが自分をネズミになぞらえるように、観る者もその姿を自分自身に照らし合わせるのだ。

今こそがオイラの時、地下鉄こそがオイラの舞台

洗面所の作品が発表されてから3ヶ月後、英国ではロックダウンが解除された(その後、再び、ロックダウンに戻るのだが)。すると、これまでの鬱憤を晴らしてやろうといわんばかりに、バンクシーネズミたちは勢いよく外に飛び出ていった。行き先は、グラフィティーライターたちの古巣である地下鉄だった。昨今、ロンドンの地下鉄や車両内に何か描こうものなら、当局によってすぐに消される事は目に見えていた。だから、バンクシーはそれを逆手にとって、最初から活動のシークエンスをビデオ撮影したのだ。すべてを先読みし、その上でプランを練る、バンクシーは常に抜け目のない犯罪者だ。おかげで、わたしたちは彼のインスタグラムにアップされた動画の中で、次のような記録映像をみることができるのである。

消毒清掃員の姿に完璧に扮したバンクシー。まだ未明の暗がりの中、始発の地下鉄車両に乗り込み、作業を始める。やがて、ひとりまたひとりと市民が乗ってくる。乗客が唖然とみている中で、清掃員は堂々とかつスピーディーに暴れ回るネズミたちを描きまくった。最後には運転室の壁にデカデカとBANKSYと自分のタグを残すや否や、次の駅で降りると、人混みの中にさっと消えていった。映像をみながら、まるで共犯者になったかのようにスリリングで小気味良い爽快感を味わったのは、わたしだけだろうか?

Banksy《If you don’t mask – you don’t get 》2020
画像引用:https://www.artlyst.com/

このネズミというモチーフ、実は皮肉なことに、パンデミックの今に耳障りな共鳴をする。なぜなら、ヨーロッパ社会で、ネズミといえば、中世に猛威を奮った黒死病の暗い記憶と結びつくからだ。その害獣を自分の分身とすることによって、バンクシーは、自分が社会から忌み嫌われるグラフィティーライター/ストリートアーティストであることを自虐的に謳っているわけである。だが振り返れば、バンクシーがロンドン中の路上にネズミを次々と描き始めた2000年前後、疫病というのは日常的な脅威では決してなかった。いや、バンクシーがこの世に生を受けた時代も、そんな惨事は本の上の出来事でしかなかった。たとえ起こったとしても、21世紀の科学はすぐに克服できると、彼と同じ時代を生きるわたしたちも信じ込んでいた。しかし、まさかその20年後に、人智を超える脅威に恐れおののき、こんなにも世の中をひっくり返してしまうとは思いもよらなかった。それと同時に、人間の歴史は疫病との闘い/共存の繰り返しであることを、身を持って思い知ったのだ。

地下鉄での仕事で、バンクシーネズミは次のような言葉を残した。

「I get lockdown(オレはロックダウンさせられた)」「BUT I GET UP AGAIN(でも、また起き上がってやる)」

パンデミックのさなかにあって、ストリートアーティストとしてのバンクシーの強い意志とチャレンジが響く。コロナ禍だからといって、バンクシーが手をとめることはない。彼には「こんな世の中で、アーティストが何ができるのか」と思い悩んでいる隙なんかないのだ。

ブラックユーモアあふれる彼の作品は、沈鬱な日々を送り、笑顔を忘れてしまいかけたわたしたちを笑い飛ばしてくれるだろう。何の救いにもならないが、そのユーモアはしゃちほこばった心を解してくれよう。真綿で包むような癒やしには決してならないが、辛い現実を受け入れ、前に進む元気を与えてくれるに違いない。

この地下鉄での活動後、バンクシーは、次々の路上で作品を残した。いつもながら、土地の特徴を利用したり、ファウンドオブジェと組み合わせたりして、狡猾でユーモラスな作品もつくれば、LGBTQの人権問題や環境問題を町行く人々に直に訴える作品もある。世界的に有名になり、その作品には巨額の値がつくセレブリティーになっても、今も路上を舞台としながら、バンクシーはストリートアートを生み出し続ける。

ロックダウン中のバンクシー活動一覧:2020.3.23 〜2021.7.19
1 2020.4.15 《My wife hates it when I work from home》(画像:インスタグラムで発表)
2 2020.5.6 《Game Changer》(画像:インスタグラムで発表後、病院に寄贈)
3 2020.6.6 《無題》ジョージ・フロイドを悼む(画像:インスタグラムで発表)
4 2020.7.14 《If you don’t mask – you don’t get 》(ストリートアート・パフォーマンス・映像)
5 2020.8.29 LIFE boat The M.V. Louise Michel(ストリートアート・活動・映像)
6 2020.10.17 《無題》フラフープをする少女 Nottingham(ストリートアート)
7 2020.12.10 《Aachoo!!》くしゃみをするおばさん Bristol 
8 2021.3.4 《Create Escape》Reading (ストリートアート&映像)


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【PROFILE】吉荒夕記 
1959年生まれ。2007年ロンドン大学大学院美学学部卒。学術博士取得。大英博物館アジア部門にてアシスタント・キューレターとして勤務。2012年、ロンドンを拠点にアートローグを設立。文化の旅の提案やコーディネート業をしながら、ミュージアムにて在英邦人向けに歴史・美術史を教える。また、ミュージアムの社会的な意義やストリートアートのメディア的な役割に関心を寄せ、執筆活動を続ける。主著『美術館とナショナル・アイデンティティー』(2014年/玉川大学出版部)、『バンクシー:壊れかけた世界へ愛を』(2019年/美術出版社)

文:吉荒夕記