
世界的アートの祭典「ドクメンタ15」が危機の時代に元気づけること
ロンドン発信、バンクシー本の著者が見た現代アート#17
あの覆面アーティストを街の文脈から読み解いた『バンクシー 壊れかけた世界に愛を』の著者・吉荒夕記の連載記事。ロンドンを知り尽くしアートや文化の旅づくりも手掛ける筆者が見た、アートの最前線とは。
ドイツ、カッセルで開催される「ドクメンタ」は、最も今日的なアートの動きをみることができる世界的祭典として知られる。コロナ禍や戦争の脅威を身近に感じる今日だからこそ、ドクメンタは従来のアートの概念を突き破り、繋がりの中で生き抜く事の重要性を提唱する。
ギリシャ神殿様式の円柱群が立ち並ぶ、荘厳なミュージアムの建物。だが、何か変だ。普通、柱は白い大理石だが、全面黒に塗られ、落書きのような文字や絵が散らばっている。「誰を信じろって?」「CEO2」など。なにやら政治的なメッセージのようだ。

ドクメンタ15会場、フリデリツィアヌム美術館の玄関 (著者撮影)
建物に入れば、美術館の整然とした様相とはまるで違う。プラスティックのビールケースを椅子に仕立てたもの、似顔絵で埋め尽くされた簡易小屋、段ボール紙でつくったカラフルな人形、雑多なファウンド・オブジェクト(※1)が床や壁に散らばり、来場者たちが使い古したソファーに横たわって談笑したり、アート作品でゲームを始めたり、作品上でスケートボートに興じたりしている。まるでアジアの街角の路上に迷い込んだかのようだ。

コレクティブ、Gudskul(グッドスクール)の作品の一部 (著者撮影)

作品の上でスケートボートをする人 (筆者撮影)
ドクメンタ、今のアートの動向を知る絶好のチャンス
わたしがいるのは、ドイツ西部の地方都市カッセルで行われているドクメンタのメイン会場。5年毎に行われる権威ある国際美術展で、世界各国から現役のアーティストが出品する一大アート・イベントだ。回毎に選ばれたディレクターが明確なコンセプトをもって企画し、現代アートの世界的な動向だけではなく、その時代の社会情勢を映し出す鏡にもなっている。

出典:https://m.facebook.com/documentafifteen/
ドクメンタは気鋭のアーティストをいち早く紹介してきたことでも知られる。たとえば、ドクメンタ3(1964)では、ドイツ現代アートの巨匠ヨーゼフ・ボイス(※2)が初登場し、その後も何度か参加。ドクメンタ7(1982)では、その後輩にあたるゲルハルト・リヒターが、ドクメンタ8(1987)では名が出たばかりのジャン=ミシェル・バスキアが出品依頼を受けている。また、アート情勢にも敏感で、美術展の企画オーガナイザーは欧米人と相場が決まっているところを、ドクメンタ11(2002)では、アーティスティック・ディレクターとしてナイジェリア出身のオクゥイ・エンヴェゾーが採用され、美術界の注目の的となった。
今年はその15回目にあたるわけだが、世の中を見渡せば、コロナ禍、異常気象、ロシアのウクライナ侵攻など、激動の中で開かれたドクメンタとなった。いったいどんな展覧会になるのか、社会から大きな注目を浴びた。今年はじめ、その全貌が明らかにされた時、メディアが大きく報じたのは、今回のアーティスティック・ディレクターが、「ルアンルパ」というインドネシアで活動する「コレクティブ(芸術家集団)」だったことだ。

ルアンルパのメンバー
出典:「ドクメンタ15」公式サイト
コレクティブが作るものは、価値あるアート?
コレクティブとは文字通り、個としてのアーティストではなく、複数の芸術家の集まりを意味する。日本でも「チームラボ」や「Chim↑Pom」が知られているように、コレクティブが活躍するようになったのは最近の世界的現象だ。作品制作に複数の手が関わる事は、ルネサンス期に師匠と弟子たちが一緒に作品をつくったように、今に始まった話ではない。しかし、現在のコレクティブが異なるのは、その集団内にヒエラルキーがなく、各個人が緩やかな繋がりをもっていることだろう。ルアンルパの場合、はじめこそ芸大出の若手アーティストたちの集まりだったものの、自然に、建築や音楽、科学など異なる分野の人々が加わったという。
ドクメンタ15に出品を依頼されたのも、ほとんどがコレクティブだ。こうした特徴をはじめ耳にした時、わたしは懐疑的な思いをもった。ずばり、わたし自身のアートの定義から外れるからだ。キース・ヘリングのような絵を描いていたアマチュア画家の父の影響で、現代アートは子供の頃から身近にあった。おかげで、世間一般が「これがアートか?」と疑問を抱くような斬新な作品でも面白く鑑賞できるようになったと自負している。そんなわたしにも、アートとはアーティスト個人の卓越した天才性が生み出すものという認識が深く根付いているのだ。レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、カラバッチョ、ゴッホ、ピカソ、バスキア、美術史に名前が残るアーティストの誰もが、これまでにない新しいヴィジョンをもつ個だからこそ従来のアートの常識を破ってくることができた。ところが、制作母体が集団だとすると、その個の天才性が薄まるのではないか、結果、集団がつくる作品はインパクトのないものではないか。それがわたしの危惧だった。
ドクメンタ15の会場は、冒頭のミュージアムだけではなく、他の建物や戸外、カッセルの町全体に広がっているのだが、2日かけて歩き回って、強烈な印象を残したビック・アートは、やはり残念ながらなかった。印象といえば、むしろ会場全体が居心地よく有機的に繋がり、今ここで何かがおきている気配があったことだ。

ドクメンタ会場マップ
出典:「ドクメンタ15」公式サイト
作品の多くは、日常にある物のリサイクルで、特別な技術がなくてもつくれそうなものばかり。来館者がドラム代わりに作品をたたいたり、露天にありそうな手作りの椅子の上に座って、みんなでディスカッションを始めたり、インターネットを通して、地球の裏側に住むアーティスト集団とその場で会話を始めたり、そういう自由に入り込める(入り込みたくなる)雰囲気で溢れている。それも、よくあるように学校などからの引率ではなく、世界各地からやってきたアートファンたちが参加できるディスカッション・ツアーの形態をとっている。まるで、路上の延長のような、日常の延長のような感じがするのだ。かつての現代アートのように難解なものは少なく、自然環境、移民問題、人権問題、貧困社会など、政治的、社会的メッセージがわかりやすく伝わってくる。

ドクメンタ15 展示室の様子 (筆者撮影)

ドクメンタ15 展示室の様子 (筆者撮影)

ドクメンタ15 展示室の様子 (筆者撮影)
会場のある壁に、手書きのダイアグラムをみつけた。壁の左上には「過去」という文字、その下には「パーソナル」「スキル」「知識」とある。右側の「現在から未来」のコーナーには、「社会」「倫理」「文化的なコア」と書かれてある。未来の円弧が広がる先には、まず「WHY?」。次に「HOW?」、そして「WHAT for ?」と続く。それを見ながら、アートは個人の天才性が生み出すものという概念をもつわたし自身が「過去」に属しているのかもしれないと思い至った。ロンドンでわたしが定期的に開催している現代アートの鑑賞講座では、参加された方達に「今日はあなたの既成概念を外してみてください」と誘うというのに。

展示室の壁 (筆者撮影)
深刻な社会問題が続出する今日だからこそ、アートにできること
「コレクティブな活動は不利な点もあるのではないか」と、あるインタビュアーが、ルアンルパ のメンバーの一人、インドラ・アメングに尋ねた。それに対し、それこそが「サバイブする方法なんです」と彼は答えた。何から生き残る方法なのか、具体的に言っているわけではない。それは、多様化した現代アートの先行きの不透明性さからの生き残りを意味するのだろうか。ひょっとすると、もっと広い意味が込められていて、現代社会からのサバイブなのかもしれない。振り返れば、わたしたちがいる今という時代は、パンデミック、地球環境破壊、民主主義の崩壊、核戦争の脅威が世界中に渦巻いている。
一つの事に秀でた能力をもつ個人ではなく、個としての力は小さくても、さまざまな能力をもつ人々の集合体の繋がりの方が、むしろ柔軟性や耐力がある。それがまた人間社会の真の強さともいえる。冒頭のギリシャ神殿風のミュージアムの前には、ドクメンタ7(1982)で、ヨーゼフ・ボイスがアクション・アートとして植えた樫の木が大きく育っている。それもまた、たくさんの人が実際に制作に関わり、みんなでカッセルに7000本の木を植える活動だった。

ドクメンタ7でのヨーゼフボイス。7000本の樫の木プロジェクト
出典:Tree Consultant
ボイスはそのように複数の人々が手をかけ、未来を作っていく事を「社会彫刻」と呼び、それこそが芸術であると提唱した。40年前の巨匠・ボイスを中心とした芸術活動をドクメンタ15のコレクティブの活動を繋げて理解するのは、辻褄が合わないかもしれない。だが、そのような集団が関わるアート活動が提唱される時代の只中に、わたしたちが生きていることは、間違いないだろう。
(※1)自然界の産物や人工物を再利用したアート作品
(※2)ヨーゼフ・ボイス(1921-1986)ドイツを代表する現代アーティスト、教師、思想家、社会活動家、政治家。パフォーマンスアートやハプニングムーブメントの中心的な存在。デュッセルドルフ大学で教鞭を取っていた時に、ゲルハルト・リヒターが学生として参加していた。
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【PROFILE】吉荒夕記
1959年生まれ。2007年ロンドン大学大学院美学学部卒。学術博士取得。大英博物館アジア部門にてアシスタント・キューレターとして勤務。2012年、ロンドンを拠点にアートローグを設立。文化の旅の提案やコーディネート業をしながら、ミュージアムにて在英邦人向けに歴史・美術史を教える。また、ミュージアムの社会的な意義やストリートアートのメディア的な役割に関心を寄せ、執筆活動を続ける。主著『美術館とナショナル・アイデンティティー』(2014年/玉川大学出版部)、『バンクシー:壊れかけた世界へ愛を』(2019年/美術出版社)