
ゲルハルト・リヒター:偶然性の奥にあるタイムレスな記憶
ロンドン発信、バンクシー本の著者が見た現代アート#15
あの覆面アーティストを街の文脈から読み解いた『バンクシー 壊れかけた世界に愛を』の著者・吉荒夕記の連載記事。ロンドンを知り尽くしアートや文化の旅づくりも手掛ける筆者が見た、アートの最前線とは。
ゲルハルト・リヒターは、21世紀のドイツを代表する画家であり、近年世界的アート市場でも最高値で取引されるアーティストだ。今年、30年のキャリアを記念して、東京と愛知で大回顧展「ゲルハルト・リヒター展」が開催される。アブストラクトで難解な彼の作品をどう読み解いたらよいのか、美術館に足を運ぶ前に考えてみたい。

開かれた解釈
「森に囲まれた湖畔かな?その水面に木々が映り込んでいるようにみえます」
「赤とか白とかの色の違いは、季節を表しているのかしら」
「わたしにはツィード織の布地のようにみえるんだけど」
「わたしは都会のイメージ。雨が降っていて、濡れたアスファルトの地面にネオンが映り込んでいる」
ここは世界最大級の現代アートの美術館、ロンドンにあるテートモダン。筆者は当館を教室に現代美術史の講座を開いている。先の会話は、リヒターの油彩作品で埋められた展示室での参加者のコメントだ。同じ作品が自然にみえたり、都会にみえたり、ミクロにみえたり、マクロにみえたり、それぞれの見え方の違いを楽しんだ。ストーリーが明快に読み解ける伝統的な絵画と違い、現代アートは観る者に自由な解釈が委ねられる。他者と語れば、ひとりでの鑑賞ではみえなかった風景がみえてくる。時に難解なコンテンポラリーアートだが、開かれていることこそが、鑑賞する醍醐味だ。

真面目な人なら、アーティストが何を言いたいのか、きちんと答えが知りたいと思うかもしれない。しかし、アートに計算式のような正解があるわけではない。それでも、制作者の意図を知りたいあなたは、タイトルを確かめることだろう。展示壁のラベルには、アメリカの現代音楽の作曲家ジョン・ケージの名前を示す《ケージ》とある。「作曲家だって? 肖像画なんかには全然みえない!」肩透かしをくらったように感じるだろうか。確かにどうみても肖像画ではない。

絵画に偶然性をとりこむ
リヒターによれば、一連の作品群はケージの曲を聴きながら制作したという。ケージの音楽には、伝統的な作曲技法とは異なり、不協和音がとりこまれ、はっきりした構成もない。リヒターの絵と同じように、とりとめもないアブストラクトな印象をもつ。だからといって、リヒターは、ケージが書いたある特定の曲を視覚化したわけではない。リヒターがケージからインスピレーションを受けたのは、むしろ、伝統的な音楽の価値観からは大きく逸脱する制作のアプローチにある。それは、制作過程に「偶然性」をとりいれることだ。
リヒターの作品がどのように作られたのか、目の前の絵を注意深く探ってみると、「偶然性」の意味がみえてくる。キャンバスには色を載せるのと同じくらいの制作エネルギーで、削った痕跡がみてとれる。画家は、キャンバスにさまざまな色を塗った後、まだ乾かない間に、両腕ほどの長さがある大きなヘラに別の色を載せて、画面全体を滑らせたり、ひっかいたりする。あるいは時間をおいて、新たに色を重ね塗りする。時に下の絵の具が違う色で顔をだしたり、重ね塗りの層が、波紋のようなテキスチャーを作ったり、そこには制作者が意図しなかった偶然の効果が表れる。最初から下絵もプランもなく、いきなり白いキャンバスに描き始め、絵の具を塗ったり、削ったり、また塗ったり、削ったりを繰り返すうちに、自分が完成したと思う瞬間が向こうからくるのだと、リヒターはいう。鑑賞する側にとっても、そこに正解を求める意味がそもそもなく、同時に、冒頭の会話のような自由な解釈に門戸を大きく開いている。

今、テートモダンの壁に掛けられている作品は、《ケージ (1)- (6) 》の油彩の抽象画(プライベートコレクションからの長期貸出し。当館はリヒターの他の作品も所蔵)だけだが、リヒターの表現形態の幅は実に広い。写真を元にした写実的な油絵や、写実的な油絵を写真にした作品もある。共通するのは全体的にぼやけており、人物の表情も、どこの風景かも明確に読み取れないことだ。リヒター自身も「はっきりわかる絵は好きじゃない」と語る。特定の対象を表すことをあえて拒絶しているといってもよい。しかし、だからこそ、そこに描かれたものはある個人のパーソナルな関係性を超えて、誰もが共有するイメージとして観る者の心に響くのではないだろうか。
タイムレスな記憶
リヒターは、1932 年、旧東ドイツのドレスデンで生まれた。東ドイツ時代に、すでに画家としての経歴を積んでいたが、ベルリンの壁が築かれる直前に西ドイツのドュッセルドルフに政治的な亡命をした。両親とも生き別れをしたという。東での生活や価値観を捨て、まったく新しい環境で生きることを選んだのは、自らのアイデンティティーを切り裂くような人生経験だったに相違ない。リヒターは自分が子供の頃のパーソナルな写真をたくさん保持している。そのような親密な思い出も作品のモチーフになるのだが、画家がいったんキャンバスに向かうや否や、個人的な感情の紐帯というものをかなぐり捨てて、それを素地にしながらも、リヒター独自の表現に昇華させる。言葉では言い表せないことを、絵画として表現するのである。

個人の思い出だけではなく、ナチス時代のホロコーストやニューヨークでの9.11の大惨事など、実際にあった出来事、現代人の心に深く刻まれた 過去をテーマにすることも多い。そのような負の記憶をアートのテーマにすることは、社会的にも倦厭されがちだし、表現者にも、とてつもなく荷が重いことに違いない。事実、自国においても、ホロコーストという残虐きわまる出来事をアートにすることは不可能ではないかという論争がたびたび起こった。だが、リヒターにとっては、見て見ぬふりができる問題ではなかった。長い間、どのように向き合い、どのように自らの表現にしたらよいのか思いを巡らせ、試行錯誤を繰り返しながら、果敢に挑戦していったのである。自身が身をもって負の歴史を生きたことが、リヒターをそこに向かわせたのかもしれない。

今年6月には東京国立近代美術館、10月には愛知県の豊田市美術館で、リヒターの大回顧展が開かれる。その目玉展示が、ホロコーストをテーマにした《ビルケナウ》シリーズだ。どこにもホロコーストを匂わすヒントなど見当たらず、黒やグレイを基調にした抽象画にしかみえない。しかし、構想段階では、ビルケナウ収容所の囚人が隠し撮りした写真が画家の脳裏にしっかりと横たわっていた。その上に、《ケージ》シリーズと同じように、絵の具を塗ったり削ったりを、何度も何度も繰り返しながら、作品を完成させた。
冒頭の会話のように、リヒターのアブストラクトな絵画は余韻を残し、会話を生む。1940年から45年の間に、ポーランドのある村で本当に起こった出来事の具体性を超えて、人類が共有すべき記憶となる。彼のアートは、過去に留まることもない。現在を生きるわたしたちにその過去を問いかけ、それを今日に照らし合わせて想像し、自らが考え、他者と語り合うように、これからも示唆し続けることだろう。

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【PROFILE】吉荒夕記
1959年生まれ。2007年ロンドン大学大学院美学学部卒。学術博士取得。大英博物館アジア部門にてアシスタント・キューレターとして勤務。2012年、ロンドンを拠点にアートローグを設立。文化の旅の提案やコーディネート業をしながら、ミュージアムにて在英邦人向けに歴史・美術史を教える。また、ミュージアムの社会的な意義やストリートアートのメディア的な役割に関心を寄せ、執筆活動を続ける。主著『美術館とナショナル・アイデンティティー』(2014年/玉川大学出版部)、『バンクシー:壊れかけた世界へ愛を』(2019年/美術出版社)