
ウォーホルの「啓示」とは。宗教的ルーツを再発見:ニューヨークからの最新報告[1]
ロンドン発信、バンクシー本の著者が見た現代アート#13
あの覆面アーティストを街の文脈から読み解いた『バンクシー 壊れかけた世界に愛を』の著者・吉荒夕記の連載記事。ロンドンを知り尽くしアートや文化の旅づくりも手掛ける筆者が見た、アートの最前線とは。
アンディ・ウォーホルは20世紀アメリカが産んだポップアートの巨匠。これまでも世界中で、彼の大回顧展が行われてきた。従来のウォーホル展では、大量生産・消費、大衆文化、マスメディアという20世紀のアメリカ社会を反映するものとして紹介されることが多い。しかし、2022年初夏ニューヨークのブルックリン博物館での特別展は、タイトルの「アンディ・ウォーホル:Revelations (啓示)」が示唆するとおり、彼の宗教的観念に光をあてるものだった。
Revelationsには「新発見」という意味もあるが、文字通り、わたしにとってこれまでにない新鮮なウォーホルとの出会いだった。久しぶりの海外アート視察。今回のウォーホルの「啓示」展、次回のバスキア展と2回にわたり、コロナ禍後のニューヨークのアートシーンを現場から報告したい。
ポップアートとビザンチン芸術

アンディ・ウォーホル (1928- 87) の両親は、1920年代はじめ、現在のスロバキアからペンシルベニア州ピッツバーグに移住した。当地はすでに同郷のコミュニティーが形成されており、彼らが崇拝するビザンチン・カトリックの教会もあった。カトリックと一言で言っても、代表的なローマ・カトリックを含め、24の異なる教派がある。ビザンチン・カトリックは、東欧に広がったカトリックのひとつで、ローマ・カトリックの教義をもとにしながらも、儀式などは、ロシアやギリシャの正教会の様式や伝統をもつ。教会芸術でいえば、レオナルド・ダ・ヴィンチやラファエロ・サンティなど、わたしたちが西洋の美術館で目にする表現とは異なり、金箔を施した背景にキリストや聖母マリアの典型的なイメージのみを平坦に描いた表現が中心で、総称して「イコン」と呼ばれる。

幼少時のウォーホルは、ビザンチン・カトリック教会に通う習慣が身についており、長じてからもそのルーツに反発することなく、イコンのようなクリスマスカードを作っては家族に送ったりしていた。ニューヨークに移って、世界的なアーティストになった後ですら、毎週日曜日には、母親と一緒に教会に通う習慣があったという。

絵を描くことが好きだった母ジュリアの影響を受け、ウォーホルは大学で美術を学び、商業デザイナーとして成功する。デザインの仕事では、スクリーンプリントという版画技法を得意とした。要は、機械を使って、同じイメージを量産するのである。だが、俯瞰してみれば、その商業デザインのシステムは、イコンとイコンが流布したキリスト教社会との関係と似たところがある。機械を使わず、技術を要する丹念なフリーハンドという手法ではあるが、同じイメージを手本に複数量産するという点では、イコンも商業デザインも同じだからだ。ウォーホルがポップアートという分野を切り開いた背景には、デザイナーとしての技術や経験だけではなく、自らの文化的ルーツであるビザンチン芸術があるといえよう。
女性 聖母マリア
「啓示」展の最初は、ウォーホルの生家にあったビザンチン的な装飾やイメージと一緒に、ジュリアが描いた天使たちや飼い猫などを描いた描画がいくつか並ぶ。どれをみてもすぐれた描画力で、その能力が息子に受け継がれたことが一目でわかる。そしてその横に、ジュリアと自分の自画像をポップに描いたウォーホルの作品が架けられている。母の肖像画は、彼女が亡くなった後に描かれたという。

母と自分の肖像画の次にくるテーマは、「ウォーホルにとっての女性」だ。展示壁には、あの有名なマリリン・モンローのイメージ。反対側には、当時の米大統領ジョン・F・ケネディの妻、ジャクリーヌの肖像画が並ぶ。後者は横一列に青い複製が並び、どれも陰鬱な表情をむけている。前者はモンローらしい官能的な笑みを浮かべているものの、モノトーンに統一されている。


なぜ、その色なのか。なぜ陰鬱なイメージなのか。なにより、なぜ彼女たちが選ばれたのか。モンロー作品は彼女が自殺した後に制作されたし、ジャクリーヌのイメージは、夫ケネディが暗殺された直後や葬儀の時に激写された報道写真を元にしている。彼女たちをとりまくそのような状況が、色や陰鬱さの理由だろう。
二人とも当時のセレブリティーであり、彼女たちのイメージがメディアに何度も登場したことも重要な共通項だ。伝統的な肖像画のように、コミッションを受けた画家が、モデルを直にみながら描いたのではなく、世に出回った報道写真の再利用である。よく語られるマスメディア社会、大量生産・消費という時代背景を再確認できよう。
しかし、この展覧会が光を当てるのは別のところにある。ひとりは自らの命を絶ち、もうひとりは喪に服す。ウォーホルの作品は、パブリックな表のイメージの影にある、ダークでプライベートな側面を浮き彫りにする。そこには悲劇だからこそ、浮き上がる悲哀の美があり、ウォーホルの宗教的ルーツの中で、それは息子を亡くした聖母マリアにみる女性像と重なるのではないか。思い返せば、先ほどの母ジュリアの肖像画も、彼女が死んだ直後に描かれたのだった。
死する肉体
次の展示室は「カトリックの身体」というタイトル。そこで目をひいたのは、マッチョな男性の上半身裸の身体を描いたモノクロ作品だ。上には「Be a Somebody with a Body」というキャッチーな言葉がある。絵のイメージが示唆するように、これがボディー・ビルディングの看板だとしたら、「肉体を鍛えて、いっぱしのヤツになれ」とでも訳すのが適当だろう。しかし、それが広告ではなくアートなのは、そこに痩せたキリスト像が上書きされているからだ。筋肉隆々の男性裸体像と痩せたキリスト像という正反対のイメージが奇妙にダブり、興味を掻き立てる。

実は作品のタイトル《The Last Supper (Be a Somebody with a Body)》にもその重なりが読み取れる。まず、再度、副題の「Be a Somebody with a Body」に注目しよう。宗教的観念で、「Body」とはキリストの肉体を指すことが多い。キリスト教の中心的な儀式である聖餐式で、キリストの血と肉をワインとパンとして口にすることは、神との交わりを意味する。特にビザンチン・カトリックでは重要視されており、ウォーホルの作品コンセプトの背景にあるのは疑う余地がない。
そして、主たるタイトルの「The Last Supper (最後の晩餐)」とは、12使徒たちとの最後の会食が、まさにキリストと弟子たちとの最初にして最後の聖餐式だった。ウォーホル作品に描かれたキリストのイメージが、レオナルド・ダ・ヴィンチによる有名な《The Last Supper: 最後の晩餐》に登場するキリスト像の写しであることも示唆的だ。
さらに、そこにウォーホルの身体そのものへの強い関心が重なる。幼い頃から虚弱体質だったウォーホルは、自分自身の身体にトラウマを抱えていた。トレードマークの白髪のかつらも、そのトラウマを隠すための道具だったといわれる。そして、同性愛者でもあった。伝統的なキリスト教では、同性愛は受け入れ難いセクシャル・オリエンテーション(性的指向)だ。キリスト教の宗教観が根本にあったウォーホルは、罪の意識をもって自分自身をみつめていたのかもしれない。
その作品の横に、友人の写真家リチャード・アヴェドンが撮影したウォーホルの上半身裸の写真が展示されている。たくさんの外科手術の跡が痛々しい。実は、ウォーホルは、彼のアトリエに出入りしていた知人に狙い撃ちされて、九死に一生を得るというとてつもない体験をしている。また、1980年代当時、同性愛者の間でAIDSが流行し、なすべき治療法もなく死に至る病として恐れられていた。実際、ウォーホルの周囲の人々がAIDSで次々に亡くなっている。ウォーホルにとって、死のイメージはさらに強まり、クリエイティヴな思考の深いところで増幅していった。

20世紀の最後の晩餐
展示の最後は、レオナルド・ダ・ヴィンチの《最後の晩餐》のコピー作品で締め括られる。細長い作品が二枚ずつ横に繋げられ、ミラノの修道院にある本大作と同じスケールになっていること、また、それぞれ赤と黄色で塗られたものが向かい合わせになっていることで、印象深い空間を作っている。
従来のウォーホル芸術の解釈からすれば、やはり大量生産・消費というコンテキストで理解されることだろう。展示の他のコーナーには、ラファエロの描いた聖母子像やレオナルド・ダ・ヴィンチの受胎告知の作品をモチーフにしたものもある。確かに、「最後の晩餐」のように超有名になってしまった美術作品も、ポストカードや雑誌などで大量にコピーされることで、マリリン・モンローと同じく、世に出回ったアイコンであることに違いはない。

だが、今回の展覧会の流れの中で、この最後の作品に出会うと、より深いレベルでのメッセージが聞こえてくる気がする。イエス・キリストの死への序奏と、その肉と血を弟子たちと分け合い、肉体化するという最後の晩餐。ウォーホルの作品にあるのは、死や身体、あるいは信仰に対する、二十世紀的な問いかけなのではないだろうか。大量生産、大衆文化、銃犯罪などの暴力、AIDS問題などが、ウォーホルが生きた時代のアメリカ社会にあり、宗教的なイコンのイメージを彼なりに手を加えることで、同じ時代を共有する私たちに問いかけてくる。この作品が制作された1か月後に、彼自身の死がやってきたのは、実に皮肉なことであった。
色さまざまな影たち
ところで、最後の展示室の脇の小部屋に、影をテーマにした小作がある。アトリエにあった何かの影だけを写真に収め、その複製にさまざまな色を施したものだ。影の本体が具体的に何なのか、全く判明できないから、アブストラクト作品といってもいい。彼の別の作品で、骸骨を描いたものがあるが、そこにも奇妙な影がある。思えば、マリリン・モンローの肖像画も、大衆メディアに流布したイコン的な彼女のイメージに対する「影」の像だった。影は光の裏であり、光が生命だとすれば、影は死の直接的なイメージなのかもしれない。
実は、ブルックリン博物館を訪れた数日後、ニューヨークの北にあるDia Beacon という美術館にも足を伸ばした。元工場を再利用した巨大な空間の中で、リチャード・セラ、ゲルハルト・リヒター、ルイーズ・ブルジョワなど現代アートの大作群をみることができる興味深い美術館だ。そのひとつの大きな展示室がウォーホルの「影」の作品だけで満たされていた。ブルックリン博物館での「啓示」展を先にみていたおかげで、同じイメージの反復で単調な印象を受けがちなウォーホルの展示だが、繰り返された影の空間に浸りながら、私自身が、ウォーホル作品に対して、はじめて深い感動を味わったことを白状しないといけない。

前回の連載記事はこちら


【PROFILE】吉荒夕記
1959年生まれ。2007年ロンドン大学大学院美学学部卒。学術博士取得。大英博物館アジア部門にてアシスタント・キューレターとして勤務。2012年、ロンドンを拠点にアートローグを設立。文化の旅の提案やコーディネート業をしながら、ミュージアムにて在英邦人向けに歴史・美術史を教える。また、ミュージアムの社会的な意義やストリートアートのメディア的な役割に関心を寄せ、執筆活動を続ける。主著『美術館とナショナル・アイデンティティー』(2014年/玉川大学出版部)、『バンクシー:壊れかけた世界へ愛を』(2019年/美術出版社)