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特別連載
デイヴィッド・ホックニー

「デイヴィッド・ホックニー展:iPad より新しい」ロンドン発信、バンクシー本の著者が見た現代アート#11

特別連載

あの覆面アーティストを街の文脈から読み解いた『バンクシー 壊れかけた世界に愛を』の著者・吉荒夕記の連載記事。ロンドンを知り尽くしアートや文化の旅づくりも手掛ける筆者が見た、アートの最前線とは。


英国の現代アートを代表するデイヴィッド・ホックニーアンディー・ウォーホルと並んで、60年代のポップ・アートの騎手として登場し、84歳の今もiPadで絵を描くなど時代の先端をゆく。彼のキャリアを俯瞰する大展覧会がケンブリッジで行われている。伝統ある巨匠の美術とホックニーのアートを並列させるという斬新な展示で、そこから新たな発見が見出せる。

新旧の衝撃的な出会い

200年の歴史をもつフィッツウィリアム博物館(ケンブリッジ)は、絵画、彫刻だけではなく、古代文明の出土品、家具調度品、古文書、ジュエリーなどを扱う総合ミュージアムである。円柱が並ぶ白亜の神殿のような荘厳な構えをもつ。玄関ホールに入れば、高い天井、ドーム形の天窓、金色の壁面装飾や彫刻群と、これまた息を呑むような空間に圧倒されるだろう。ゆるやかに弧を描く立派な階段に導かれれば、まるで美の殿堂へと吸い込まれていくようだ。

FitzwilliamMuseum
フィッツウィリアム博物館正面(引用

展示正面入り口
エントランスホール(筆者撮影)

ところが、階段を上がって、最初の展示室に一歩入るやいなや、一瞬たじろいでしまう。壮大な部屋全体を見渡すと、金の額縁にはまった伝統的な油彩画の数々にまぎれて、鮮やかな色のホックニーのアクリル画やiPadで描いた作品が散在しており、両者が強いコントラストをなしているからだ。

企画展でよくみられるように、離れたところに設えられた特別展専用の展示室で行われているわけではない。当館の常設展示室を舞台にし、歴史的な絵画をそのまま残しつつ、要所要所にホックニーの作品がかけられているのだ。部屋全体の壁は落ち着いたエンジ色だが、ホックニーの絵がかけられた部分は鮮やかな緑色に変わっている。シックで重厚な美術館とモダンなコンテンポラリー・ギャラリーが隣り合わせにあるというわけだ。それなのに不思議に、お互いを活かしあっている。目が慣れてくると、重苦しい展示室全体が明るく生き生きしてみえてきて、なんだか楽しい。

ホックニー展示
美術館展示室(筆者撮影)

同じような趣旨の企画でありがちなのは、ミュージアムから招待された現役アーティストが、そこが所蔵するコレクションを見て、受けたインスピレーションから新たに作品を制作するというものだが、この展示はそうではない。この展覧会のために新たに制作されたのは自画像1点で、それ以外は1960年代から2022年に至るまでのホックニーの作品を網羅しており、それらが常設展示室のあちこちに組み込まれている。ホックニーの作品と過去の画家の作品の並列は、担当学芸員サイドの考察、そして画家との話し合いの結果なのだろう。

また、過去と現代の作品を隣同士にする構成でよくみられるのは、両方に通じる題材やストーリーに注目することだが、今回の展覧会が斬新なのは、選ばれたポイントが、アーティストたちの「眼」にあることだ。どういうことか。具体的にみてみよう。

肖像画を描くアーティストの「眼」

最初の立派な常設展示室には、18世紀英国の大きな肖像画が飾られている。当時の英国を代表するジョシュア・レイノルズの肖像画もある。いかにも英国紳士らしい威厳ある人物が立派なアームチェアーに腰掛け、絨毯で覆われたテーブルの上に重要な文書か何かを広げて、こちらをみている。室内空間のはずなのに、向こうには風景が広がり、人物との間には、ピンクのシルク布が巻かれた古代ギリシャ風の太い円柱が立っている。

その隣の壁には、ホックニーの肖像画。時代もインテリアも色合いも違うが、2点に共通するのは、ドメスティックな空間の中で英国紳士が椅子に座っていること。しかし、その椅子はミニマリズム的なデザインで、青ガラスのテーブル上には赤いチューリップの花瓶があるだけ。絵全体がとてもシンプルかつカラフルで、伝統的な絵画と比べれば平坦な印象だが、細部をみると画家の描写力に舌を巻く。

ホックニー展示2
左《3人の座る紳士》(1766)ジュシュア・レイノルズ
右《デビッド・ウェブスター卿》(1971)デイヴィッド・ホックニー(筆者撮影)

ところが、ここに、もうひとつの共通点が隠れている。それぞれの画家が、どんな背景の中に人物を入れようとしているかに注目してみよう。両者とも、室内空間にみえて、実はかなりイマジネーションを使って背景が描かれていることがわかる。ホックニーの作品は、薄いグレイの壁と薄い緑の床、そこにおちる紳士の影といった背景をみると、はっきりした境界がなく、淡い色調でまとめられ、まるで抽象画のようだ。同様に、レイノルズの絵の背景もギリシャ神話の背景のような想像の世界を描いている。アーティストたちは、単にモデルを写実的に描いたのではなく、その人物の人となりを背景にまで反映させようとしているのではないだろうか。

宗教画にみるテクノロジー

次に続く細長い部屋は14-16世紀の宗教画の展示室。いつもは部屋全体が暗くて、あまり人気がないのだが、今回わたしが見た時には、左に鮮やかな緑の空間がつくられ、たくさんの見学者がたむろしていた。ホックニーの絵があるからだ。それは、天地逆転した台形というユニークな形のキャンバスに鮮やかな色を使った作品だ。

青い衣をまとった若い女性と翼をつけた天使が向きあっている。大天使ガブリエルがマリアに神の子をみごもったことを告げる《受胎告知》だ。しかも、受胎告知の代名詞のような作品、フィレンチェにあるフラ・アンジェリコのフラスコ画を元にしている。

受胎告知2、フラ・アンジェリコに寄せて
《受胎告知2、フラ・アンジェリコに寄せて》(2017)デイヴィッド・ホックニー(筆者撮影)

受胎告知
《受胎告知》(1443)フラ・アンジェリコ(引用

15世紀イタリアの画家たちは、目の前の三次元の世界をいかに二次元の絵の中に映したらよいか、試行錯誤を繰り返した。数学者や建築家たちから影響を受けたり、放射線状に糸をはった枠から風景を覗いたり、カメラ・オブスクラという写真機の原型にあたる道具を利用しながら、一点/二点透視図法(※1)などの理論を獲得した。レオナルド・ダ・ヴィンチやフラ・アンジェリコの絵にもそのような科学的な工夫がみられるのは周知のとおりだ。しかし、細心の注意を払って作品をみると、かつての巨匠たちも、その理論に完全に基づいているわけではないことがみてとれる。むしろ、自分の表現したいことを前面に持ち出すために、意図的にその理論を崩しているのだ。

ホックニーのポップな《受胎告知》も、遠近法が駆使された古い宗教画をあえて引き合いにしながら、キャンバス自体の形もイレギュラーにし、手前を濃く、奥にいくほど薄くという色の遠近法の基本を完全に無視し、画面いっぱい鮮やかな色で満たす。そうすることで、むしろ、処女の女性が神の子を身籠るという、非現実的でミステリアスな時空間を現そうとしているのだろう。

ホックニー展示風景
展示風景(筆者撮影)

さらに、ホックニーの絵が部屋の中心にあることで、逆にその周囲にある古い宗教画にも、ホックニーの姿勢と同様、当時の画家たちの空間意識への関心があったことを改めて気づかせる。伝統的な宗教画が、ポップアートにみえてくるから不思議だ。

風景の中で、パースペクティブを遊ぶ

美術の歴史の中で遠近法がもっとも意識されたのは、なんといっても風景画だ。そのジャンルが集められた常設展示室にも、数点のホックニー作品が飾られている。部屋の中央には、17世紀のオランダの画家、メインデルト・ホッベマの有名な風景画がある。まっすぐな細い並木道を手前から奥へ、キャンバスの中央に描き、シンプルかつパワフルに奥行きを出す。遠近法のお手本のような絵だ。

メインデルト・ホッベマ
《ミドルハーニスのアヴェニュー》(1689)メインデルト・ホッベマ(筆者撮影)

その隣には、ホックニーの大きなアクリル画。公園の中で二人の男性が、こちらに背を向けながら椅子に座っている。彼らの向こうには、緑の芝生が広がり、その両側に同じ高さの木が立ち並んでいる。そこには、ホッベマの風景画を思わせる遠近法がしっかりと使われている。しかし、写実性を表すための遠近法というよりも、その理論がむしろ誇張され、逆にイリュージョンの風景にさえみえる。まるで二人は劇を鑑賞しているかのようであり、また、向こうに広がる風景も舞台の書き割り(※2)のようなのだ。

そこで思い出されるのが、ホックニー自身も何度か舞台美術を手がけていること。ステージは3D空間だが、絵画と同様、実際の風景を狭い空間の中に映し取る工夫がなされる。この作品でも、正統派の遠近法をあえて用いながらも、それを逆手にとってパースペクティブそのものと遊びながら、その理論から解放され、ホックニー自身のアーティスティックな眼差しを自由に前面にだしている。

デイヴィッド・ホックニー
《Trompe I’Oeil  フランス風》(1970)デイヴィッド・ホックニー(筆者撮影)

ホックニーは、ポラロイドカメラや映像を駆使したり、iPadで描いたりと、常に最先端の道具を使い、科学的なアプローチにチャレンジする21世紀のアーティストだ。だが、この展覧会から見えてきたことは、彼の挑戦が単に最新のテクノロジーを使うだけに留まらず、そのコンセプトの奥には、世界を、物事をどのように見るかという、アーティスト自身の眼があることだ。

もうひとつ、この展覧会自体がとても興味深かったのは、そのように最先端の表現にチャレンジするホックニーが、いかに美術の伝統の延長上にいるかということの検証になっていたこと。同時に、過去のアーティストたちも、実は当時の新しい見方/見せ方やテクノロジーを取り入れながら、自らの表現を追求し続けたことに、改めて気付かされたことだ。新旧が並列されたことで、見慣れた歴史的な絵画にも、ホックニーの最新のアートにも、それまでにはない光が当たり、新たな発見を見出せるサビのきいた展覧会である。

(※1)一点透視図法とは、三次元空間を二次元の平面の中に描くために透視図を使った描画法。すべてのものが一つの点に集まるように描くのが、一点透視図法。消失点を増やし、二点透視、三点透視と応用できる。

(※2)舞台美術の用語。演劇や芝居の背景を平面のパネルや幕に描き、舞台に設置する大道具を示す。


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【PROFILE】吉荒夕記 
1959年生まれ。2007年ロンドン大学大学院美学学部卒。学術博士取得。大英博物館アジア部門にてアシスタント・キューレターとして勤務。2012年、ロンドンを拠点にアートローグを設立。文化の旅の提案やコーディネート業をしながら、ミュージアムにて在英邦人向けに歴史・美術史を教える。また、ミュージアムの社会的な意義やストリートアートのメディア的な役割に関心を寄せ、執筆活動を続ける。主著『美術館とナショナル・アイデンティティー』(2014年/玉川大学出版部)、『バンクシー:壊れかけた世界へ愛を』(2019年/美術出版社)