
キュレーター・南條史生さんトークセッション(前編)日本のアートマーケットやNFTについて
10月30日(土)・31日(日)にANDARTのオーナー限定鑑賞イベント「WEANDART」が東京都・天王洲にあるWHAT CAFEにて開催されました。イベント2日目には、ANDARTユーザーがキュレーターの南條史生さんに質問できるスペシャル質問コーナーが行われました。イベントでは事前にユーザーの皆さんに質問を募集し、その中から4つに絞って南條さんにご質問させていただきました。本記事ではその模様を前編・後編に分けてご紹介します。


南條 史生(なんじょう ふみお)
1949年東京生まれ。1972年慶應義塾大学経済学部、1977年文学部哲学科美学美術史学専攻卒業。
1978-86年国際交流基金、1986-90年ICAナゴヤディレクター、1990年-2002年及び2014年-エヌ・アンド・エー(株)代表取締役、2002-06年森美術館副館長、2006年11月-2019年同館館長、2020年-同館特別顧問。
国際的には、ベニスビエンナーレ日本館コミッショナー、ターナープライズ審査員、台北ビエンナーレ、横浜トリエンナーレ、シンガポールビエンナーレ、茨城県北芸術祭、ホノルルビエンナーレ等のディレクターを歴任。

まず、アーティスト、コレクター、アート業界のシステム(美術館やギャラリー)の3本の柱になっていないとアート業界は栄えないと考えています。アーティストが作品を作り、美術館やギャラリーが見せて、コレクターが買う、このエコシステムができることでアーティストの経済活動を支えることができます。日本においてはこのコレクター(マーケット)の部分が非常に弱いことが最大の問題だと思っています。
ーー日本におけるコレクターの部分が弱い原因についてどうお考えですか?
これについては昔から色々な説が唱えられていて、日本の家屋は狭く、壁のスペースが少ない上に襖と障子でできているため作品を掛けることができない点。オイルショックやバブル崩壊の時に美術品の価格が落ちた体験から、美術品は価格が不安定で危ないという印象がついてしまった点。戦後、アートを自分で買って楽しむという文化がなかったことなどがあります。しかし、オイルショックやバブル崩壊時に価格が下がったのはアート作品だけではないし、戦前はヨーロッパからアートをコレクションする文化があって、それが国立美術館になったりもしています。もともとは日本にもアート作品を購入する文化があったのですが、戦後の民主化と貧困が日本のアートマーケットの弱さの原因になっています。現在アメリカ、中国、ロンドンが世界のアートマーケットの1/3ずつを占めており、日本はGDP2位にもかかわらず全体の約3%とアートマーケットが狭いことで非常に珍しい国です。これをダメだと考える人もいますが、逆に成長の見込みがあるとも思います。
ーーアート鑑賞という面で見ると、日本は展覧会動員数が非常に多いですよね。
日本は公立の美術館がたくさんあって、そこがたくさん美術品を持っています。個人がアートを所有するのではなく、美術館の作品をみんなで見るというシェアリングエコノミーができています。そこがANDARTと繋がる部分でもありますね。
ーーありがとうございます。ANDARTは見るだけではなく、共同で作品を購入する新しいアートの持ち方を提唱しており、まさに日本人のアートの楽しみ方にフィットしていているかなとも思います。
ーーまた、世の中にはいろんな作品がありますが、アートを購入する際の選び方はどのようなものがありますか?
コレクションするには、アートに多少なりとも興味があり、ある程度のゆとりがあることは必要だと思います。情報を調べるといろんな作品があって迷ってしまいますが、「この作品だったら自分の家にあってもいいかな」と思えるような、内なる声に耳を傾けて買い始めるのが安全なのではないかなと思います。値上がりなどはやはり気にしてしまう部分ですが、値上がりしなくてもその作品が好きなら良い。いろんな作品を鑑賞して、自分がどんな作品が好きなのかを認識するところから始めるのが良いと思います。

NFTによって、新しいやり方でデジタルアートが売れるようになりました。NFT作品はモニターで見なければいけませんが、モニター上で見るには色使いがポップだったり、動いたりと、これまでの美術作品とは違った特徴があり、別の美学が生まれるのではないかと思っています。油絵が開発されたことで美術の歴史が変わったように、これまでも新しいメディアや技法が出て来るたび、それに合った作品が生まれてきたので、NFTも新メディアとしてアートシーンに影響を与えると思っています。
ーー写真も登場した当初はアートとして認められませんでしたが、今では荒木経惟さんの作品のように美術としてみられていますね。
そうですね、今でも保守的なコレクターは写真は長く持たないんじゃないかと信用していない人も若干います。しかし僕がみている限り、1993年に開催されたヴェネツィア・ビエンナーレで「東洋への道」というテーマの時に、写真やビデオ作品が多数出展され、そこで写真が完全にアートの一つとして位置づけられました。
中国でNFTの研究をしている方に、「NFTの市場の中で生まれた価値は将来まで続くだろうか」と聞いたところ、「価値というのはコミュニティの大きさ、つまりその価値を信じている人がたくさん居続ければ永続します」と言われました。よく考えてみると、あらゆるものがそうで、アンディ・ウォーホルの作品の価値が維持できているのも、アメリカや日本など世界中の美術館が彼の作品を持っていて、世界中に名前が知られており、繰り返し展示され、そのたびに彼の作品が重要なんだろうと皆が理解するようになるからです。逆に、オークションで高値で取引されていたような有名な作家でも、死後にその人に関する教育が受け継がれていなければコミュニティや価値はどんどん小さくなってしまいます。
ーーなるほど。アートの価値とコミュニティが密接に関係していると考えると、やはりアートとマーケットは切り離して考えることはできませんね。

後編はこちらからお読みいただけます。
ANDARTでは、オークション速報やアートニュースをメルマガでも配信中。無料で最新のアートニュースをキャッチアップできます。この機会にどうぞご登録下さい。


文・写真:ANDART編集部