20世紀最後の巨匠 ジャン=ミシェル・バスキア

20世紀美術のもっとも重要な巨匠の1人とされるアメリカ人アーティスト。1980年代のアートシーンに彗星のごとく現れ、わずか10年の活動期間に3000点を超すドローイングと1000点以上の絵画作品を残した。当初はニューペインティングの中心的な画家として注目されていたが、没後に世界各地で大規模な回顧展が開かれ、大量に書かれた文字、ジャズとの関連、アフリカの民族や人種問題といった黒人ならではの主題も含まれることから再評価が進み、今では20世紀を代表するアーティストとして国際的に認知されている。マーケットでの価格の高騰もめざましく、2017年に前澤友作氏が《Untitled》を約$1億1,048万(約123億円/落札手数料込)で落札したことも記憶に新しい。(1)

<忙しい方向け:本記事の簡単サマリー>

・前澤氏の落札により、アメリカ人アーティストによる作品のオークションレコードを更新
・一見走り書きのように見えるが、調和のとれた色彩、文字を使って表現するコンセプチュアルアートの概念の導入など、綿密に構成されている
・ブラッド・ピット、ベッカム夫妻、ケイト・モスなど、世界の名だたるセレブリティがコレクターしている

概要 (2)


出典:http://hahamag.com/spotlight-jean-michel-basquiat/

出生 1960年生まれ

出身地 ニューヨーク州ブルックリン

学歴 1978年ニューヨーク州シティ・アズ・スクール退学

所属 ブルーノ・ビショフベルガー画廊

URL http://www.basquiat.com/

主な活動歴 (3)


1977年 シティ・アズ・スクールで出会ったアル・ディアスとSAMO©︎の名義でグラフィティアートの活動を始める

1979年 バンドを結成(アートに専念するため1980年脱退)

1980年 ニューヨークで初めてのグループ展に参加

1982年 アニナ・ノセイギャラリーで初めての個展開催

1983年 来日し三宅一生のモデルを務める。また東京のアキラ・イケダギャラリーで日本国内で初の個展開催

1984年 アンディ・ウォーホル、フランチェスコ・クレメンテとの共同作品に焦点を当てた展覧会がスイスのブルーノ・ビショフベルガー画廊にて開催

1985年 ニューヨーク、スイス、東京他で個展開催

1986年 ロサンゼルス、ドイツ、スイス、オーストリア、東京他で個展開催。また生涯において最初で最後となるアフリカ旅行をする

1987年 ニューヨーク、パリ、オーストリア、東京他で個展開催

1988年 自宅にて急性混合薬物中毒により永眠

作品の特徴


 《Charles the First》1982年 acrylic and oil on canvas 198×158cm
出典:https://www.phillips.com/detail/jeanmichel-basquiat/NY000208/480

《チャールズ1世》はバスキアの代表作の1つとされ、ジャズミュージシャンのチャーリー・パーカーを主題としたものだ。バスキアは音楽と終生関わりを持っており、勢いのある線描や一見気まぐれな文字の集積は彼が熱愛したジャズ、特に1940年代にチャーリー・パーカーらが始めた即興を重視する演奏に通じているとされる。この作品は3枚のパネルからなっており、中央のパネルには3歳で亡くなったパーカーの娘の名「PREE」(プリー)、右のパネルにはジャズのスタンダードでパーカーの編曲で有名な「CHEROKEE」(チェロキー)の文字の他、王冠のマークやスーパーマンのSなどが見られる。左のパネルの下方から中央のパネルにかけて「ほとんどの若い王は首をはねられる」の文言があり、34歳で亡くなったチャーリー・パーカーが46歳で処刑された英国のチャールズ1世に比せられている。こうした一連の表現でパーカーへの追悼の意志が表されていると言えよう。

このように画面に大々的に文字が挿入されているのはバスキアの絵画の特徴であり、必ずしも明確な意味をなさない記号的な文字も含まれる。20世紀美術で初めて文字を絵画に導入したのはピカソなどのキュビスムにおいてであり、文字と絵画の共存による画面効果はキュビスムの伝統に連なるものとされている。

 色彩に注目すると、一見無造作に塗りたくったような画面でも、ベースとなるクリーム色に鮮やかな空色と黒い面、黒とオレンジの文字によって全体の色彩は見事に調和している。バスキアはマティスの伝統をひくような天性のカラリストであり、多様なモチーフを作品の中で色彩の力で結びつけているともいわれている。(4)

ジャン=ミシェル・バスキアを知る為のキーポイント


アメリカ人アーティストとして過去最高額となる約123億円での落札

バスキアの名が国内で広く知られるようになったのは、2017年に前澤友作氏が《Untitled》を約$1億1,048万(約123億円/落札手数料込)で落札したことを契機としてであろう。事前に予想されていた価格の$6,000万を大きく上回り、バスキアのオークションレコード、かつアメリカ人アーティストとしてもレコードを更新する金額である。前澤氏は世界各国の美術館への貸し出しに積極的に応じており、2019年には森アーツセンターギャラリーでの「バスキア展 メイド・イン・ジャパン」でも本作品が展示された。なお2016年にも別の《Untitled》を約$5,728万(約63億円/落札手数料込)で落札しており、前澤氏はバスキア作品のオークションレコード1位と2位の作品を保有するメガコレクターとして一気に世界の注目を集めることになった。(5)

関連作品

《Untitled》1982年 oilstick, acrylic, spray paint on canvas 183.2×173cm
出典:https://news.artnet.com/exhibitions/embargo-830am-1-11-yusaku-maezawas-blockbuster-basquiat-gets-show-brooklyn-museum-1194494

アーティストランキングではピカソやモネらに並びトップ10をキープ

Artprice社が発表するアーティストランキングでは、2005年に初めて9位をマーク、直近の2016年から20年にかけては常にトップ10にランクインしている。バスキアの評価は1990年代はまだ確立していなかったが、2000年代になるとブルックリン美術館をはじめ、オンタリオ・ロンドン・フランクフルト・パリなどで大規模な展覧会が次々に開催され、市場的な価値も合わせて高騰した。早くも2007年には《Untitled》が約$1,460万(約17億円/落札手数料込)と$1,000万超えの大台を記録、2013年には《Dustheads》が約$4,884万(約48億円/落札手数料込)で落札と当時のレコードを更新し、その後2016年の前澤氏の落札に至る。(6) 

関連作品

《Dustheads》1982年  Mixed media (acrylic, oilstick, spray enamel and metallic paint/canvas) 182.8 x 213.3 cm
出典:https://news.artnet.com/market/jho-low-sells-art-amid-international-investigation-501479

3回の来日と、1980年代の日本の世相をモチーフにした作品制作

1960年生まれのバスキアは日本の高度経済成長期に思春期を過ごし、電子機器産業における日本の隆盛や日米貿易摩擦を同時代人として経験していた。これらの影響はバスキアの作品に顕著に現れており、《Made in JapanII》ではアジア人の特徴をもつ顔が電話に似た機械装置に結び付けられている。ハイテク装置の輪郭が顔をかたちづくる線の一部となることで、「世界の電子機器産業の王」としてこの人物を特徴づけている。(7)

関連作品

右《Made in Japan II》1982年 acrylic and oilstick on paper mounted on canvas 152.5×91.5cm
左《Made in Japan I》1982年 acrylic and oilstick on paper mounted on canvas 152.5×91.5cm
出典:https://www.widewalls.ch/sales-report-fiac-2014/

《Big Pagoda》(大寺院)では、日本のコレクションの購入によって促進されていた1980年代の加熱したアートマーケットを参照している。「ロット」や「評価額」「$7,000-9,000」というオークション関連用語を、日本の象徴である「大寺院」に結び付けているのだ。(8)

関連作品

《Big Pagoda》1984年 acrylic, oilstick and silkscreen on canvas 152.4×121.9 cm
出典:https://www.gazette-drouot.com/en/lots/10322791

バスキアは3度来日したことでも知られ、ファッションデザイナー三宅一生のモデルを務めたり、東京・青山の老舗レストランCAYの壁にドローイングを残したりしたという。日本滞在の影響が顕著に見られる作品も残しており、《Plastic Sax》(プラスチックのサックス)では敬愛するチャーリー・パーカーに関連するモチーフが散りばめられ、その間を縫って「おりがみ」や「トーヨー」(折り紙メーカー)という日本語の文字が全体に広がっている。(9)

関連作品

《Plastic Sax》1984年  acrylic, oilstick, Xerox copies and collage on canvas 152.4x 123.2cm
出典:https://www.anothermag.com/art-photography/gallery/7508/agnes-b-s-art-collection/21

有名ブランドとの多数のコラボレーション実績

大胆な色彩と構図や自由奔放で荒々しいタッチは今なお多くのデザイナーを惹きつけ、有名ブランドとのコラボレーション実績が多数ある。ユニクロReebokSupremeZARAなどだ。バスキアの財団には、様々なブランドからのコラボレーションの問い合わせが今でも尽きないという。(10)


UNIQLOメンズTシャツ
出典:http://sprzny.uniqlo.com/jp/products/basquiat/

ZARA メンズデニムジャケット
出典:https://www.fashionsnap.com/article/2019-08-19/zara-basquiat/

ジャン=ミシェル・バスキアのアート作品について


幼少期からSAMO©︎と名乗るグラフィティまで

バスキアは1960年、ハイチ出身の父とプエルトリコ出身の母の元に生まれた。幼い頃からドローイングに興味を示し、美術教育に関心の高い母によってブルックリン美術館、MoMA、メトロポリタン美術館を度々訪れていたという。8歳の頃に自動車事故に遭い脾臓を摘出。入院中に母から『解剖学』という本をプレゼントされ、この本はバスキアの印象に深く残り、後の解剖学的なドローイングにつながることになる。16歳の頃にシティ・アズ・スクールに転校、ここでアル・ディアスに出会い、共同でSAMO©︎(Same Old Shit、いつもと同じさの意味)という名義で地下鉄などにスプレーペイントを行っていた。仲違いによりSAMO©︎名義での制作は2年もたたずに終了、バスキアは単独で手描きのポストカードやTシャツを売り始め、この頃ソーホーのレストランでアンディ・ウォーホルにポストカードを売ったという。同時期に、キース・ヘリングやアーティスト兼DJのラメルジーとも知り合い友情を築いたとされる。(11)

関連作品

SAMO©︎グラフィティ 映画「New York Beat」より1980-81年
出典:http://www.basquiat.com/artist.htm

アートについて学校で学んだことはない。

基本的なことはすべて母から与えられたと言っていい。

僕のアートは彼女から来たものだ。(12)

バスキアイズムズ、ジャン=ミシェル・バスキア/ラリー・ウォルシュ、美術出版社、2019年

グラフィティから絵画的な様式へ移行する初期の作品 -1981年

バスキアは1980年にニューヨークで初めてグループ展に参加、1981年にはキース・ヘリングやアンディ・ウォーホルらと共に「New York New Wave」展に参加して多くのギャラリーの注目を集めた。この展覧会に来ていたアニナ・ノセイのギャラリーに後に所属することになり、ノセイはギャラリーの地下室をスタジオとしてバスキアに与えたという。(13) 1981年の《Pork》は、グラフィティから絵画的な様式への移行を指し示す初期の作品だ。バスキアの作品において重要な要素ー電気を帯びたような線、繰り返し書きなぐられた文字、仮面のような頭部と釘が刺さったような光輪の描写、多層化された背景を含むーの数々が組み合わされている。(14)

関連作品

《Pork》1981年 acrylic, oil and oilstick on glass and wood with fabric and metal attachments 211.2 x 86 x 7.7cm
出典:https://www.christies.com/lotfinder/paintings/jean-michel-basquiat-pork-6011667-details.aspx

黒人男性の肖像を最大限の強度で描き出す -1982年

1982年3月、アメリカで最初の個展をアニナ・ノセイギャラリーで開催、多くの批評家から好意的に受け入れられた。6月にはドイツのカッセルにおける国際的な展覧会「ドクメンタ7」に出品、出品依頼を受けた176人のアーティストの中で21歳のバスキアは最年少であったという。(15) バスキアの作品において英雄や戦士を模した黒人男性の像は題材としてよく用いられるが、それが最大限の強度で描かれたのがこの年だ。前澤氏が約123億円で落札した《Untitled》も1982年作であり、別の《Untitled》(以下の作品)も同年描かれている。自由な形をとる線の活動的で攻撃的な性質を直截的に示しており、徐々に増加する自らの名声に対する葛藤も表現されているといえよう。(16) 

関連作品

《Untitled》1982年 acrylic and oilstick on wood panel 182.8 x 121.9 cm
出典:https://www.christies.com/lotfinder/paintings/jean-michel-basquiat-untitled-5739102-details.aspx

黒人意識とアフリカ性を打ち出した作品群 -1983~84年

バスキアは初期の頃から黒人や人種問題への関心や共感を作品で示し、チャーリー・パーカーなどの黒人ミュージシャン、モハメド・アリなどの黒人スポーツ選手に加え、マルコムXなどの歴史上の黒人の政治家や指導者の名前がたびたび登場している。さらにアフリカの洞窟壁画の書物や、アフリカ美術関連の書物(アフリカの神や精霊、記号などについて解説されている)からも影響を受けていると指摘される。(17) 1983年の《El Gran Espectaculo (History of Black People)》(黒人の歴史)は3枚のカンヴァスからなる大作で、「NUBA」(ヌバ族)「NILE」(ナイル川)などに言及しながら、古代アフリカから現代に至る黒人の系譜をたどっている。右のカンヴァスには「SLAVE」(奴隷)と記された黒人とエジプトの都市「MEMPHIS」(メンフィス)の名称が見られるが、20世紀にも人種差別が根強く残ったテネシー州の同名の町を意味しているとされる。(18)

関連作品

《El Gran Espectaculo (History of Black People)》1983年 acrylic and oilstick on canvas mounted on wood supports 
172x 358cm
出典:https://www.widewalls.ch/originals/jean-michel-basquiat-el-gran-espectaculo/

1984年の《Grillo》(グリロ)は集大成ともいえる記念碑的な大作だ。4つの部分からなり、2番目と4番目の部分は箱状になって大きく飛び出している。その面には無数の釘が打ちつけられており、その側面にも絵が描かれている。自画像にも見える2人の黒人は、タイトルとなっているカリブの呪術師のグリロであり、同時にヨルバ人の神エシュが両腕を挙げて死者を蘇らせている情景だという。びっしりと打たれた釘も、アフリカの呪物を連想させるものだ。周囲にはアフリカの儀礼や精霊の名が記されている。(19)

関連作品

《Grillo》1984年 Oil, acrylic, oilstick, photocopy collage and nails on wood (in four parts)
243.8 x 537.2 x 45.7 cm
出典:https://www.phillips.com/detail/jeanmichel-basquiat/UK010207/

僕のほとんどの絵の主人公は黒人だ。黒人を描いた絵がそれほどないことに気づいたんだ。(20)

ウォーホルとの共作を展示 -1985年

バスキアは1983年に雑誌『インタヴュー』の編集者の女性と付き合い始めたことがきっかけで、創刊者であるアンディ・ウォーホルとの交流が始まった。「ウォーホルは僕のアートヒーローだった」と語っている。(21) 共同制作やお互いの肖像画作成などを行い、1985年にはニューヨークのトニー・シャフラジ・ギャラリーで共作を展示。しかしこの展覧会は批判的な論評にあい、2人の友情にひびが入ったとされる。(22)

関連作品

展覧会ポスター 1985年  
出典:https://www.christies.com/lotfinder/memorabilia/andy-warholjean-michel-basquiat-5697434-details.aspx

1984年頃からバスキアはドラッグ漬けになり、妄想に駆られている姿を多くの友人が目撃していたという。ドラッグ濫用をよく知っていたウォーホルは日記に「ジャン=ミシェルが朝8時に電話をかけてきて、僕等は哲学的な話をした。彼はベルーシの本を読んで怯えていた。(注:ベルーシはアメリカの俳優。薬物の過剰摂取により1982年死去)自分も伝説になりたかったら、彼のように作品を作り続けることだと言っておいた。」と記している。(23)

新たなタイプの作品を模索していた晩年 -1986~88年

1986年にはドイツ・ハノーヴァーのケストナー・ゲゼルシャフトで60点を超える大展覧会を開催。当時25歳のバスキアはここで展示された史上最年少のアーティストとなった。この時期のバスキアは、これまでのアプローチを維持する一方で、新たな形象を用いて制作し、そこで使用される資料や象徴、内容をさらに拡張している。《Untitled》は空間恐怖に突き動かされているように見える作品で、カンヴァスは文章、表、図、象徴の不協和音で満たされている。(24)

関連作品

《Untitled》1986年 acrylic, collage, and oilstick on paper mounted on canvas 239×346.5 cm
出典:https://www.artsy.net/artwork/jean-michel-basquiat-untitled-42

また、この頃は漫画や風刺画を参照した作風も見られる。《Glassnose》(グラスノーズ)はこの典型的な作例で、このタイトルはゴルバチョフが1985年に普及させた政治的スローガン「グラスノスチ」の言葉遊びだ。文字通りの意味は「開放性と透明性」だが、バスキアはその代わりに、軍帽を被っていることに気づかずにバナナを食べている盲目の男という解釈を示している。(25)

関連作品

《Glassnose》1987年 acrylic and oilstick on canvas 175×132 cm
出典:https://www.galeriedada.com/jean-michel-basquiat-glassnose-00001934.html

《Exu》はバスキアが亡くなる1988年の作品だ。「Exu」とはアフリカの神話で、秩序を乱す者、あるいは死の化身ともされ、バスキアはこれに自身を投影していたとされる。大量に増殖している目は、エジプトのヒエログリフやホルスの目(エジプトで墓の周りを飾り、悪霊を遠ざけるとされるもの)を連想させる。(26)

関連作品

《Exu》1988年 acrylic and oilstick on canvas 199.3×254 cm
出典:https://www.anothermag.com/art-photography/7569/ten-things-you-might-not-know-about-basquiat

バスキアは1988年の前半にハワイのマウイ島でドラッグを断つために長期滞在し、「ドラッグをきっぱりやめた」と友人に公言していたが、同年8月にニューヨークの自宅で永眠。検死報告によると死因は「急性混合薬物中毒」とされる。バスキア追悼集会で読まれた以下の詩は大きな感動を呼んだという。(27)

ジャン=ミシェルは炎のように生きた。彼は実に鮮やかに輝いた。炎は消えるとも、残り火はいまだ熱い。(「バスキアに捧げる詩」A.R.ペンク)

JEAN MICHEL BASQUIAT-バスキア展-、ジャン=ミシェル・バスキア/日比野克彦、ギャラリー・エンリコ・ナバラ、1997年

バスキアの絵画には、マティスのような調和のとれた色彩の美しさ、文字を使ってメッセージを表現する「コンセプチュアルアート」の概念、木枠を組み立てた立体的なカンヴァスなど、20世紀のアーティストたちが実験的に取り組んだあらゆる表現が流れ込んでおり、今や20世紀を代表する巨匠の1人という評価を確立した。多様な資料やテーマをコピー&ペーストの手法で結びつける表現方法は、インターネット時代、ポスト・インターネット時代を予告したともいえ、少しも色褪せず今なお我々に強く訴えかける。(29)

<別表 ジャン=ミシェル・バスキア作品の過去所蔵歴> (30)

<参考文献>

(1)~(4),(6)~(9)(14)(16)(17)(19)(24)(25)(30)バスキア展 メイド・イン・ジャパン、宮下規久朗監修、ブルーシープ、2019年

(5)https://bijutsutecho.com/magazine/news/market/4333

https://www.artprice.com/artist/1608/jean-michel-basquiat/index

(6)https://www.artprice.com/artist/1608/jean-michel-basquiat/index

(10)https://www.grailed.com/drycleanonly/favorite-basquiat-collaborations

(11)(13)(15)(18)(22)(23)(27)(28)JEAN MICHEL BASQUIAT-バスキア展-、ジャン=ミシェル・バスキア/日比野克彦、ギャラリー・エンリコ・ナバラ、1997年

(12)(20)(21)バスキアイズムズ、ジャン=ミシェル・バスキア/ラリー・ウォルシュ、美術出版社、2019年

(26)https://www.sothebys.com/en/auctions/ecatalogue/2009/contemporary-evening-auction-l09622/lot.18.html

(29)バスキア・ハンドブック、宮下規久朗、ブルーシープ、2019年

(30)https://news.artnet.com/art-world/celebrities-who-collect-1450060

https://www.scmp.com/culture/arts-entertainment/article/2147861/five-celebrity-art-collectors-who-have-spent-millions

http://www.basquiat.com/faq.htm

ANDARTにて取り扱い中の作品


Barry McGee 《Untitled》

2018年 h.154cm w.133cm

グラフィティーアーティストとして活躍するバリーマッギーの作品。ひとつひとつがキャンバスでありながら作品のピースになっています。

本作品の作品詳細やオーナー権注文ページはこちら(ANDARTホームページ)