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アート解説

アートマーケットで安定した人気を誇る!アンディ・ウォーホルの代表作を5分で解説

アンディ・ウォーホルとは?

1928年、アメリカのペンシルベニア州ピッツバーグ出身。チェコスロバキア共和国から渡ってきたウクライナ系移民の両親を持つ。本名はアンドリュー・ウォーホラ(Andrew Warhola)。

1949年6月に、カーネギー工科大学(現カーネギーメロン大学)の絵画・デザイン学部を卒業後、ニューヨークへ移った。1950年代に、雑誌の広告やイラストレーションなどの商業美術の仕事を行なった。1952年には、新聞広告美術の部門で「アート・ディレクターズ・クラブ賞」を受賞。20代でコマーシャル・アーティストとして成功しながら、ファイン・アーティストに転身した。

活動分野は多岐にわたり、美術のほか、音楽、映画、出版業にまで及ぶ。メディアを大いに活用して自らをポップ・スターとして打ち出した活動を行った。1987年2月、ニューヨーク病院で胆嚢の外科手術を受けた後、併発症を起こし心臓発作で死去。同年、ウォーホルの遺志を受け、アンディ・ウォーホル美術財団が設立した。1989年、ニューヨーク近代美術館で回顧展が開催された。

ウォーホルはさまざまな名言を残したが、その中でも彼の哲学を象徴しているのが、「機械になりたい」(「ARTnews」誌1963年11月号)だ。銀髪のかつらを付け、黒い服を身にまとった内面を見せない風貌、資本主義社会における大衆的なイメージを多用した作品性、版画で大量生産する制作手法など、ウォーホルの選んだスタイルは、まさに機械的のものだった。

画像引用:https://www.bbc.co.uk/

ポップ・アートとは?

大衆文化の中で共有されるイメージや記号、既製品などを絵画や彫刻に取り入れた、大衆芸術(ポピュラー・アート)を指す。「ポップ・アート」という言葉は、美術評論家ローレンス・アロウェイが1950年代半ばに、大衆文化を「ポップカルチャー」と呼ぶことにならって、「ポピュラーなアート」と表現したことが初めとされる。1950年代後半にイギリス・ロンドンで発祥し、1960年代以後はアメリカへ波及していった。

アメリカのポップ・アートはジャスパー・ジョーンズやロバート・ラウシェンバーグといったネオ・ダダの作家の活動を土壌にして発展した。既成の事物をモチーフにした先駆的なネオ・ダダの作品とポップ・アートの大きな違いは、大量消費社会を背景にした大衆文化を主題にした点にある。ポップ・アートは、高級文化としてのハイ・アートに世俗的な大衆文化のイメージを取り込み、その区分を曖昧にして新しい価値観を提示した。

ウォーホルは、「ファクトリー」と呼ばれるアトリエで、大衆に消費されるイメージを記号化し美術作品に変貌させた、美術史上で重要なポップ・アートの巨匠である。

画像引用:https://www.phaidon.com/

アンディ・ウォーホルの代表作

《32個のキャンベルのスープ缶》(1962)

Andy Warhol《Campbell’s Soup Cans》(1962)
画像引用:https://www.wikiart.org/

コカ・コーラの瓶やハインツのケチャップをモチーフにした絵画作品、ブリロの箱を象った木製の彫刻作品など、ウォーホルは多くの日用品を芸術作品へと昇華させた。その中でも代表作品として外せないのが、キャンベル缶だろう。

ウォーホルは機械のように正確に、32個のスープ缶をキャンバスに等間隔で整列させた。赤と白のラベルや金属の缶を、均質なマチエールで表現している。1962年7月にロサンゼルスのフェラス・ギャラリーで、ファイン・アーティストとして初の個展を行った。この会場ではキャンベルのスープ缶シリーズを、陳列棚に並ぶ商品のように展示した。

《32個のキャンベルのスープ缶》はキャンバスにアクリルで描いたが、同年8月にはシルクスクリーンの手法を取り入れる。

その後、ウォーホルは同じイメージを反復して転写できるシルクスクリーンを好んで用いたが、コマーシャル・アーティスト時代にも、版画のプロセスに近い技法「プロット・ライン」を編み出している。防水紙にドローイングを描き、インクが乾く前に吸水紙で吸い取るというもので、線が途切れたり濃淡が生まれる。プロット・ラインの絵は、ウォーホルが芸術界に参入するための足掛かりとなった。

《80枚の2ドル札》(1962)

画像引用:https://www.pinterest.jp/

《32個のキャンベルのスープ缶》と同年に制作した80枚の2ドル紙幣の作品で、紙幣の表と裏を交互に配置した。貨幣としての経済的な価値を引き剥がし、物質的な印字された紙としての側面をクローズアップした。さらに、美術的な価値を与えられた作品は、市場で取引きされる中で価格がつく。160ドル相当のこの紙幣もその都度、値段が更新されていく。

《金色のマリリン・モンロー》(1962)

Andy Warhol《Gold Marilyn Monroe》(1962)
画像引用:https://www.flickr.com/

ウォーホルは1962年、エリザベス・テイラーやエルヴィス・プレスリーなどハリウッドスターを題材にしたポートレイトシリーズを始め、セックス・シンボルであるマリリン・モンローの作品も制作した。マリリンは数あるモデルの1人に過ぎなかった。だが彼女が自室で不審死を遂げたことで、ウォーホルのポートレイト作品は、彼女の永遠の美を想像させるイコンとなった。

作品の元になったマリリンの写真は、彼女の主演映画『ナイアガラ』のスナップだと言われている。ウォーホルはこの写真を使って、さまざまなバリエーションを試したが、《金色のマリリン・モンロー》は、神格化するに相応しい効果をもたらした。

スタジオ「ファクトリー」

画像引用:https://news.artnet.com/

「ファクトリー」も、ウォーホルが手がけた作品のひとつと言えるだろう。1963年から移転する1967年まで活動拠点となった、ニューヨークのイースト47丁目のスタジオでは、「アート・ワーカー」と呼ばれるスタッフを雇い、1962年から1964年の間に2000点を超える作品を制作した。

ファクトリーでは頻繁にパーティが行われ、ルー・リード、ボブ・ディラン、ミック・ジャガー、アレン・ギンズバーグ、ジェーン・フォンダなどが出入りし、アーティストや俳優が集まるサロンとなった。ウォーホルはファクトリーという場を通して自身をメディア化し、世界的な人気を獲得していった。

映画『チェルシー・ガールズ』(1966年)

画像引用:https://www.artpedia.asia/

60年代半ばに美術への関心が冷めたウォーホルはいったん、“画家引退”宣言をする。そして1963年から1968年まで、70本以上の映画を製作した。

『チェルシー・ガールズ』は始めて一般公開された映画で、商業的にも成功した。ロック・バンド「ヴェルヴェット・アンダーグラウンド」に参加するニコも、この映画で脚光を浴びた。裸の少女の身体に窓がある、エロティックなポスターを手がけたのは、グラフィック・アーティストのアラン・オルドリッジ。当時16歳のクレア・シェーンストーンが被写体となっている。

『The Velvet Underground & Nico(ヴェルヴェット・アンダーグラウンド・アンド・ニコ)』のジャケットデザイン(1967)

画像引用:https://www.amazon.co.jp/

1965年には音楽界へ進出し、プロデューサーとして手腕を振るった。ルー・リードが率いる「ヴェルヴェット・アンダーグラウンド」と出会い、前衛的な音楽活動を行うバンドに、大衆に分かりやすいアイコンとして、女優でモデルのニコを引き合わせた。

ウォーホルはデビューアルバム『The Velvet Underground & Nico(ヴェルヴェット・アンダーグラウンド・アンド・ニコ)』のジャケットのアートワークを担当。バナナの皮はシールになっており、剥がすと果肉が表れる仕掛けになっている。

肖像画シリーズ《ミック・ジャガー》(1975)

画像引用:https://www.guyhepner.com/

ファクトリーが出入り自由だったことで、ウォーホルの命を脅かす事態が起きる。1968年6月3日、ユニエア・スクエア・ウエスト33番地の新スタジオにフェミニストのヴァレリー・ソラナスが押し入って銃撃し、ウォーホルは重傷を負った。

ソラナスによる狙撃事件以降、「ファクトリー」は閉鎖され、ウォーホルはセキュリティの厳しい「オフィス」を拠点とするようになる。この頃から著名人から注文を受け、多くの肖像画を制作している。1970年代以降、ウォーホルの活動はビジネス的な側面が強まった反面、以前のポートレイトシリーズでは見られなかった、筆勢を感じる描写や色調の試行が重ねられるようになる。

1975年にウォーホルは、色彩をつけるための新しい方法を取り入れている。マリリンのシリーズでアイシャドウを施したような彩色を行なったが、《ミック・ジャガー》(1975)では目や唇にピンクの紙を貼り、コラージュしている。

この手法では貼った紙が、シルクスクリーンで数回刷る過程の中でとれてしまうものもある。紙が剥がれたあとには輪郭線が残り、その線は生き生きとした表情を見せる。《ミック・ジャガー》にも実験的な配色と、繊細で躍動感のある線が見られる。

アンディ・ウォーホル作品の値段

ウォーホルの作品は、没後30年以上の時を経ても世界中のオークションハウスで取引きされており、アート市場で高い人気がある。

高額落札された作品に、2013年のサザビーズで1億500万ドルで落札された《シルバー・カー・クラッシュ》(1963)や、2014年にクリスティーズで8190万ドルで落札された《トリプル・エルビス》(1963)などがある。

2010年に死去した俳優デニス・ホッパーのアートコレクションが、2011年にクリスティーズに出品されたことも話題になった。ホッパーに銃弾2発を撃ち込まれた毛沢東の肖像画は、約30万ドルで落札されている。

直近では、2021年6月24日に行われたフィリップスの「20世紀・現代アート デイセール」で、ジャン=ミシェルバスキアとアンディウォーホルの共作である《バナナ》が430万ドルで落札された。

画像引用:https://www.phillips.com/
Jean-Michel Basquiat and Andy Warhol《Bananas》

ウォーホルと交流のあったキース・ヘリングについては、2020年にサザビーズで行われたオークションで、ウォーホルがヘリングに贈った、アニメキャラクター・ガンビーの時計が出品された。彼らの友情の深さが伝わるこの時計は、約1万ドルで落札されている。

画像引用:https://www.sothebys.com/

アンディ・ウォーホルのオーナー権を購入

ANDARTでは、ポップアートの巨匠アンディ・ウォーホルの作品《KIKU(F&S II.308)》のオーナー権を販売している。

ANDARTが数量限定で発行しているオーナー権は、 1枠1万円から“シェア”する形で購入でき、アンディ・ウォーホルのような著名なアーティストの作品でも気軽にコレクションできる。価格が上がった作品のオーナー権は、サービス内で売買が可能。手軽にアートコレクションを楽しみたい人や、アート投資を検討している人はぜひ利用して欲しい。

まとめ

芸術の概念を一新させたウォーホルは、今のアーティストのクリエーションにも大きな影響を与えている。現代アーティストの村上隆、写真家の荒木経惟や森山大道、歌手のレディ・ガガらが感化された。

マスメディアのメカニズムを見通して大いに利用したウォーホルは、「In the future everyone will be world-famous for 15 minutes.(将来、誰でも15分間は世界的な有名人になれるだろう)」という言葉を残し、名声の偏在性を指摘した。だが革新性を持ちながら、現在にも通じる普遍的な表現の強度とカリスマ性を備えた作家はそういない。ウォーホルはポップの頂点に立ち続けるアーティストなのである。

画像引用:https://italianwatchspotter.com/