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マルク・シャガールを3分で解説! 豊かな色彩で愛を描いたユダヤ人画家

マルク・シャガール(Marc Chagall, 1887-1985)はロシア出身のユダヤ系の画家で、存命中から現在に至るまで、世界中で高い人気と誇る。97歳と長生きしたこともあり、多くの作品を残したが、長い画業を通して具象的で詩的な画風を貫いた。

「色彩の魔術師」「愛の画家」と呼ばれ、愛にあふれた幻想的な作品を描いたシャガール。その背景には、ユダヤ人として生まれ育ったアイデンティティと、2つの世界大戦により混乱した世界情勢、そして愛する妻の存在があった。

本記事では、シャガールの人生や作風、代表的な作品について解説する。

アトリエでのシャガール
画像引用:https://blog.artsper.com/

マルク・シャガールの人生

ユダヤ人街での幼少期

シャガールは1887年7月7日、旧ロシア帝国(現ベラルーシ共和国)の村ヴィーツェプスクに、9人兄弟の長男として商人の両親のもとに生まれる。当時人口のおよそ半分をユダヤ人が占めていたこの村は、ユダヤ教正統派から異端とみなされていたカバラ教義から派生した「ハシディズム文化」の中心地だった。シャガールもユダヤ系の家庭に生まれ、世界観にハシディズム文化から大きな影響を受けている。

ロシアからパリへ

1906年、シャガールは地元で絵を習い始めるものの、アカデミックな教育が自身に合っていないと気づき、サンクトペテルブルクの美術学校に入学。滞在中、ポール・ゴーギャンなどフランスの先進的な美術に触れ、1910年には芸術の都パリへ。キュビスムが注目されていた頃のパリで、エコール・ド・パリの画家たちや、ギヨーム・アポリネールら詩人たちと交流した。キュビスムだけでなくフォーヴィスムやシュプレマティスム、シュルレアリスム、象徴主義などさまざまなスタイルを吸収しながらも、物語性のある具象画にこだわり続け、しだいに頭角を表す。

結婚、画家としての成功

最愛の妻ベラ・ローゼンフェルトは、ヴィーツェプスクの裕福な宝石商の娘。身分違いの恋ながら、情熱で1915年に結婚にこぎつけた。二人の間には娘イダも生まれ、幸せな家庭を築いた。

結婚の前年である1914年には、ドイツで初個展を開催。ロシアでの展示も成功させ、富裕層のコレクターの間で人気が高まっていった。書籍のイラストレーションも多く手がけるようになり、ロシアで画家として認められるようになる。

《誕生日》(1915年)
画像引用:https://www.artpedia.asia/

世界大戦とアメリカ亡命

順風満帆に見えるシャガール一家だが、ベラと婚約していた頃には第一次世界大戦が勃発。終戦後も飢饉などにより厳しい生活を強いられる時代だった。そのため、1917年のロシア革命後には一時的にベルリンに亡命する。

また、故郷の「人民美術学校」で教鞭をとることになるが、カシミール・マレーヴィチと折り合いがあわなかったこともあり、退職。モスクワ滞在を経て1923年には再びパリへ戻った。そして、ニコライ・ゴーゴリ『死せる魂』、17世紀の詩人による『ラ・フォンテーヌの寓話』などの挿絵のために版画制作を始める。

その後ナチスによる近代美術の弾圧やフランス占領が進み、ユダヤ人迫害が始まって危機が迫ると、シャガールは1941年にアメリカに亡命。すでに国際的な知名度があり、1945年にはニューヨーク近代美術館で回顧展が行われ大成功を収めた。

しかし第二次世界大戦中、ウイルスに感染したベラが、薬不足により治療を受けられないまま48歳で死去。悲しみに暮れたシャガールはしばらく制作をやめ、再婚後も絵の中にベラの姿を描き続けた。

活躍分野を広げた晩年

戦争が終わってフランスに戻り、コート・ダジュールに居を構えたシャガールは、ニース近郊に住むアンリ・マティスやパブロ・ピカソと制作をともにすることもあったという。

以前から交際していたヴァージニア・ハガードとは、同棲して息子をもうけていたが、1952年には破局。娘イーダの紹介で知り合ったキャリアウーマン、ヴァランティーナ・ブロドスキー(バーバ)と再婚する。

晩年は絵画から離れ、彫刻、セラミック、ステンドグラス、タペストリーなど制作の幅を広げた。70代になってから、国を代表する歌劇場であるオペラ座の天井画を依頼され、無事完成させている。モダニスト最後の巨匠として活躍を続け、1985年3月28日、97年の生涯の幕を閉じた。

ノートルダム大聖堂(フランス、ランス)のステンドグラス(1974年完成)
画像引用:https://fineartamerica.com/

マルク・シャガールの作風と特徴

色彩の魔術師

シャガールは「色彩の魔術師」という異名を持つほど、色の使い方に長けた画家だった。油彩、水彩、パステルなどさまざまな画材を巧みに操り、色彩あふれる幻想的な画面をつくりだす。

シャガールと親交のあったピカソは次のように語る。

「マティス亡きあと、シャガールのみが色が何であるかを理解している最後の絵描きだった。シャガールにあった光の感覚はルノワール以来誰も持っていなかった。」

中でも人気があるのが青い絵画だ。独特の「シャガール・ブルー」と称される青を基調とした作品は、特に高い値段で取り引きされる傾向にあると言われている。

愛の画家

シャガールの作品には、特有のモチーフが繰り返し登場する。抱擁する恋人たちや花嫁、花束、ヴァイオリンやフルートを奏でる人々、牛や馬といった動物、故郷の素朴な村を思わせる町並み……。夢の中を浮遊するようなこれらのモチーフからは、故郷へのノスタルジーや愛する人への想いが読み取れる。

シャガールは、幼年期を過ごした思い出の風景や、家族への親愛といった個人的な愛はもちろん、宗教的な信仰に基づく神聖な愛、命ある全てのものへの普遍的な愛など、広い意味で「愛」を表現し続けた。結果として、見ているだけで幸福な気持ちにさせてくれる夢のような画面が生まれ、「愛の画家」とも呼ばれるようになった。

《ヴァイオリン弾き》(1913年)
画像引用:https://www.wikiart.org/

作風の変遷

シャガールは夢と現実が入り混じったような具象的な作風を確立しているが、若い頃にはいくつものスタイルに取り組んでいる。初期から独創性は見られるものの、作風には多少の変遷があった。

シャガールは当初アカデミックな教育を受けたが性に合わず、1907年頃には自然主義の風景画や人物画を描いていた。その後サンクトペテルブルクの美術学校で近代美術に触れ、ゴーギャンをはじめとするポスト印象派の影響を受ける。パリに移ってからは、マティスに代表されるフォーヴィスムやピカソのキュビスムなど、当時のアバンギャルドな芸術を目の当たりにした。

しかし、結局のところシャガールの作品の根幹にあるのは、ユダヤ人としてのアイデンティティや、それを形成する過程で出会ったものたちを愛する想いだった。平面から立体まで幅広いメディウムで制作しながら、どの作品でも共通して独自の世界観が繰り広げられている。

マルク・シャガールの代表作

《私と村》(1911年)

画像引用:https://www.artpedia.asia/

1911年、シャガールが最初にパリに移り住んだ頃に描かれた、カンヴァスの油彩作品。十字架のある町並みやヤギの搾乳など、幼少期に生まれ育った故郷を思わせるイメージが重なり合っている。

中央に描かれた植物はユダヤ教の「生命の樹」を象徴しているが、男の首にはキリスト教徒が持つ十字架のネックレスがかけられており、複数の宗教や文化が入り混じっている。ばらばらのイメージが一連となり、絶妙なバランスで統合されているのが特徴だ。

晩年の作品に比べると、三角形や円など幾何学的な要素が多く、この頃パリで流行していたキュビスムの影響もうかがわせる。

《エッフェル塔の新郎新婦》(1939年)

画像引用:https://artmuseum.jpn.org/mu_effel.html

パリのランドマークであるエッフェル塔を背に、新郎新婦が寄り添っている。パリだけでなく故郷ヴィーツェプスクの町並みを合わせた風景の中で、人物や動物が空に浮かんでおり、シャガールらしい一作といえる。

《青いサーカス》(1950年)

画像引用:https://www.tate.org.uk/

シャガールがサーカスをテーマにした版画を制作したのは、画商ヴォラールの提案によるもの。ヴォラールはポール・セザンヌやフィンセント・ファン・ゴッホ、ピカソらを見出した審美眼の持ち主。サーカスを愛好していたヴォラールに連れられ、シャガールもサーカスに通うようになったというが、人物や動物が宙を舞う夢のような空間は、まさにシャガールの作品にうってつけの主題だったといえる。

ヴォラールの死後、下絵の制作から40年もの月日が流れてから、ようやく38点の図版を掲載した挿絵本『サーカス』が出版された。

《ダフニスとクロエ》(1961年)

《ダフニスとクロエ:ニンフたちの洞穴》
画像引用:http://book-graphics.blogspot.com/

『ダフニスとクロエ』は古代ギリシアの恋物語で、モーリス・ラヴェルの楽曲で20世紀初頭にバレエ化もされた。多くの芸術家がこの物語をモチーフとした作品を制作しており、シャガールも42点のリトグラフを制作、1961年に全2巻の挿絵本が限定出版されている。1992年にはサイン入り42点セットがオークションで約2億円で落札され、マーケットでのシャガール人気を証明した。

精霊が登場するファンタジックな純愛物語に、シャガール独特の浮遊感がマッチしている。岩波書店からも普及版が刊行されているため、興味のある人はぜひチェックしてみてほしい。

オペラ座の天井画(1964年)

パリ「オペラ座」(オペラ・ガルニエ)の天井画
画像引用:https://thegoodlifefrance.com/

パリのオペラ座は、フランスの重要な近代建築。フランスの作家であり文化大臣も務めたアンドレ・マルローの依頼により、天井画のリニューアルを77歳のシャガールが手がけた。バレエやオペラが上演される劇場の中央に位置し、偉大な作曲家や俳優たちへの敬意を込めたイメージが描かれている。

マルローはシャガールの親しい友人でもあり、シャガールが国家に寄贈した連作《聖書のメッセージ》を展示するため、美術館設立に奔走した。

《ヤコブと天使の格闘》(1960-1966年)

画像引用:https://www.wikiart.org/

ヤコブは旧約聖書に登場し、のちに「イスラエル」という名を神に授けられる人物。1966年、シャガールは聖書を題材にした17のシリーズ《聖書のメッセージ》をフランス国家に寄贈。本作はそのうちの1点で、ヤコブが天使と取っ組み合いの戦いをするエピソードを描いたもの。ウジェーヌ・ドラクロワやゴーギャンもこのエピソードを題材にした作品を描いている。

まとめ

シャガールと最初の妻ベラ
Marc and Bella Chagall, August 1934, Paris. (Photo by Fine Art Images/Heritage Images/Getty Images)

2つの世界大戦や革命の続く激動の時代、美しく平和だった故郷や愛し合った女性の思い出を大切に表現し続けた画家シャガール。ユダヤ人であるがゆえの困難に見舞われながらも、生前から美術界で高く評価され、芸術家として大きく成功した人物だ。

また、できるだけ多くの人に自分の作品を楽しんでほしいという思いから、リトグラフによる挿絵やポスターを多数手がけたのもポイント。シャガールの絵画は広く知れわたっており、色彩豊かで愛にあふれた作風で世界中の人々を魅了し続けている。

シャガールの作品は表面的な美しさを眺めるだけでも十分に楽しめるが、画家が生きた時代や散りばめられたモチーフに込めた想いなどに思いを巡らせてみると、より深く味わうことができるだろう。

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文:ANDART編集部