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黒人アーティスト「バスキア」とは?5分で学ぶ20世紀美術の巨匠ジャン=ミシェル・バスキア

バスキアとは

ジャン=ミシェル・バスキア(Jean-Michel Basquiat)は1960年にアメリカで生まれ27歳という若さでこの世を去った、20世紀美術の最も重要な巨匠の1人とされるアメリカ人アーティスト。

Jean-Michel Basquiat - Street Art

出典:https://www.widewalls.ch/magazine/jean-michel-basquiat-samo

幼い頃からドローイングに興味を示し、美術教育に関心の高い母によってブルックリン美術館やメトロポリタン美術館を度々訪れていたという。8歳の頃に自動車事故に遭い、脾臓を摘出。入院中に母からプレゼントされた『グレイの解剖学』という本がバスキアの印象に深く残り、後の解剖学的なドローイングにつながることになった。13歳の時に母親が精神病院に入院し、17歳の時に父親に家を追い出された後は友人の家に居候をし、自身で制作したTシャツやポストカードを販売して生計を立てていた。

1976年に友人のアル・ディアスとともに「SAMO」(“Same Old Shift” 訳:いつもと同じだよ)というユニットを結成する。この時代はマンハッタンの建物や壁にスプレーで描くグラフィティアートを中心に活動し、その風刺的な作風は注目を集めるが、1979年2人の関係悪化を理由にSAMOの活動は終了する。

 Jean-Michel Basquiat as SAMO, On the Streets of New York City, Late 1970s

出典:https://www.minniemuse.com/articles/musings/basquiat-man-made

バスキアは1980年にニューヨークでグループ展「タイム・スクエア・ショー」に参加。そこで初めて正式に作品を発表し、1981年にはキース・ヘリングやアンディ・ウォーホルらと共に「New York New Wave」展に参加して多くのギャラリーの注目を集めた。また、バスキアは生前日本をたびたび訪れ、個展やグループ展を開催した。1980年代のアートシーンに彗星のごとく現れたバスキアは、わずか10年の活動期間に3,000点を超すドローイングと1,000点以上の絵画作品を残し、1988年8月12日、急性薬物中毒によって27歳で亡くなった。

活動当初はニューペインティングの中心的な画家として注目されていたが、没後に世界各地で大規模な回顧展が開かれ、大量に書かれた文字、ジャズとの関連、アフリカの民族や人種問題といった黒人ならではの主題も含まれることから再評価が進み、今では20世紀を代表するアーティストとして国際的に認知されている。最近ではユニクロやCOACHなど洋服ブランドとのコラボレーションも行われ、その独特な色使いやデザイン性が再評価されている。

バスキアの作品についての記事はこちら

バスキアの代表作

Jean Michel-Basquiat, Untitled (1982). Courtesy of Sotheby's New York.

《無題(頭蓋骨)》
出典:https://news.artnet.com/

バスキアの存在が日本で広く知られるようになったのは、2017年に前澤友作氏が123億円で落札した《無題(頭蓋骨)》の影響が大きい。この価格はバスキアのオークションレコードだ。この作品は2019年に東京・六本木の森アーツセンターギャラリーで開催された『バスキア展 メイド・イン・ジャパン』にも展示され、入場待機列ができるほどの注目を集めた。

《Warrior》
出典:https://hypebeast.com/

彼は自画像を多く残しているが、その中でも特に有名な作品が1982年に制作された《Warrior》で、《La Hara》《Irony of Negro Policeman》を含むパネル作品シリーズの一部だ。1983年、イケダギャラリー東京の展覧会で最初に発表されて以来、世界中の重要な出版物や展覧会で重要作品として紹介されている。この作品は、2021年3月23日に香港で開催されたオークション 「We Are All Warriors」で、アジアで開催されたオークションにおける西洋絵画で最高額の4,190万ドル(約45億円)で落札された。

《黒人警察官のアイロニー》
出典:https://www.amazon.com/

バスキアの作品には度々黒人のモチーフが登場するが、1981年に制作された《黒人警察官のアイロニー》はその中でも代表的な作品だ。バスキアの特徴とも言える「挑発的二分法」という表現技法がとられていて、「金持ちと貧乏」「黒人と白人」など相反する要素を絵画上に取り入れることで、白人社会に抑圧される黒人の姿を描いている。

アンディ・ウォーホルとの関係性

バスキアはアメリカのポップアートの巨匠であるアンディ・ウォーホルとも親交が深く、1984年から85年の間には2人のコラボレーション作品も制作している。バスキアとウォーホルは1980年にレストランで会い意気投合、バスキアが自作のサンプルをプレゼントしたところウォーホルがその才能を見抜き、交流するようになる。1987年のウォーホルの死去にバスキアは大いに悲しみ、その死を悼んだ作品《墓石》を制作する。ウォーホルが亡くなった翌年にバスキアもヘロインの過剰摂取で亡くなった。

アンディ・ウォーホル(左)とバスキア
出典:https://www.sleek-mag.com/

アメリカ現代アートの2大巨匠とも言えるバスキアとウォーホルの関係性をテーマにした映画が制作されることがオンラインマガジンのDeadlineによって報じられた。映画『ボヘミアン・ラプソディ』の脚本家アンソニー・マクカーテンの戯曲「ザ・コラボレーション(原題) / The Collaboration」を基に、2022年以降撮影が始められる予定だ。

アンディ・ウォーホルについての記事はこちら

黒人アーティストである葛藤

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《無題(ボクサー)》
出典:https://www.kazoart.com/blog/en/basquiat-in-10-works/

バスキアは自身が黒人アーティストであるというレッテルを貼られるのをとても嫌ったことで有名だが、黒人差別を題材にした作品を多く残している。バスキアは初期の頃から黒人や人種問題への関心や共感を作品で示し、チャーリー・パーカーなどの黒人ミュージシャン、モハメド・アリなどの黒人スポーツ選手に加え、マルコムXなどの歴史上の黒人の政治家や指導者の名前がたびたび登場している。さらにアフリカの洞窟壁画の書物や、アフリカ美術関連の書物(アフリカの神や精霊、記号などについて解説されている)からも影響を受けているとされている。当時のニューヨークのアートシーンはアンディ・ウォーホルやキース・ヘリングなどといった白人が牽引していたが、バスキアはそこに黒人ルーツの若き才能で新しい風を吹かせた。

映画や本でバスキアを知る

・『バスキア』(1996年製作の映画)

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出典:https://www.amazon.co.jp/

ジュリアン・シュナーベルが監督・脚本を手がけたバスキアの伝記映画。監督のシュナーベル自身が画家で、バスキアとは生前交友関係があったという。この映画にはバスキアと以前バンドを組んでいたヴィンセント・ギャロがカメオ出演している。

・『Downtown 81』(2000年)

出典:https://en.wikipedia.org/wiki/File:Downtown81.jpg

バスキア本人の唯一の主演作品。1人のストリートアーティストのライフスタイルを追ったドキュメンタリー風の映画で、まさにバスキア本人のアーティスト活動を写したかのような映画だ。バスキアの生前の姿を観ることができる貴重な作品となっている。

・『バスキアのすべて』(2010年)

出典:https://www.amazon.co.jp/

バスキアのドキュメンタリー映画。バスキアの友人であったタムラ・デイビスが監督を務めた。冒頭では当時25歳だったバスキアの未公開だったインタビュー映像をもとに、バスキアの知人たちがバスキアについて語った映像が残されている。

・『バスキア、10代最後の時』(2017年)

出典:https://www.amazon.co.jp/

バスキアの没後30年を記念して製作されたドキュメンタリー。バスキアが注目される前のニューヨークのアートシーンにスポットをあて、彼が影響を受けたものや、アーティストとして脚光を浴びるまでの軌跡を映した作品。

・『バスキア・ハンドブック』(ブルーシープ)

書籍『バスキア・ハンドブック』

出典:https://bluesheep.theshop.jp/items/23455441

『バスキア展 メイド・イン・ジャパン』にも日本側監修者として関わった宮下規久朗や、生前のバスキアを知るアーティストの日比野克彦らがバスキアに関する疑問に答えてくれる本。代表作の図版や、作品解説などが載っている。

まとめ

《Carbon/Oxygen》
出典:http://theory-of-art.blog.jp/archives/30491468.html

わずか10年という短いアーティスト人生の中で、4000以上もの作品を残したバスキア。27歳でこの世を去ったが、生きていたらまだ61歳という若さだ。その短い生涯を生き急ぐように数々の作品を残し、アートシーンのみならず、社会にまで大きな影響を与えた。彼の人生はまるで彼が残した作品たちのように力強く、鮮やかで、強烈なインパクトを残すものだったのだろう。


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文:ANDART編集部