
【アート×映画 vol.1】ドキュメンタリー映画『ハーブ&ドロシー アートの森の小さな巨人』に学ぶ、アートとの向き合い方
アートコレクションと聞くと、富裕層を自然と思い浮かべる方も多いのではないだろうか。
しかしNYのマンハッタンのアパートメントに住む、ごく一般市民が全米を轟かせた一大コレクションの主となった実話がある、と知ったらどうだろう?
それが、のちに世界屈指のコレクションと評価された“ヴォーゲル・コレクション”であり、その偉業を成し遂げたのがハーブ&ドロシー、ヴォーゲル夫妻である。

画像引用元:http://herbanddorothy.com/
ふたりは郵便局員と元図書館司書というごくごく普通の夫婦であったが、30年間という長きにわたって、現代アートをコツコツと蒐集してきたのだ。
今回は、そんなヴォーゲル夫妻のアートに賭ける想い、そしてふたりと深いつながりのあったアーティストたちのインタビューを交えたドキュメンタリー映画『ハーブ&ドロシー アートの森の小さな巨人』をご紹介したい。
ふたりがアートを選ぶ基準は、ただ二つ。
(1)自分達のお給料で変える値段であること。
(2)1LDKのアパートに収まるサイズであること。
だった。
世界中のアート関係者が注目し、映画が公開されてからは全米各地の国際映画際で最優秀ドキュメンタリー賞・観客賞を受賞した他、ニューヨークで17週間のロングラン、全米60を超える都市の100以上の映画館や美術館で公開されるなど話題となった本作。
その中から、見どころを5つピックアップしてお届けしたいと思う。
1)馴染みのあるポップアートが多数登場!
まず映画の序盤に登場するのが、人目を引くポップアートの作品群の数々である。
ポップアートの旗手として、1960年代にアメリカのアート界を牽引したアンディ・ウォーホールの代表作としても知られている「キャンベルスープの缶」(1962年)やウォーホールと並ぶビックネームで、コミックの世界をアートに変換した第一人者、ロイ・リキテンスタインの「the melody haunts my reverie」等の作品が、次々とスクリーンに登場するのだ。

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「ポップアートが登場したのは1962年のニューヨーク。抽象表現主義の対極にあると見なされ、私たちの身近にある物とアートとのギャップを埋める表現で、アートが理解しやすくなった」
美術史家のジョン・パオレッティ氏もそう語るように、1960年代はアート界において、極めて大きな転換期となったと言える。
1940年代にアメリカで起こった抽象表現主義から、1960年代のポップアートの世界へ。この時期を境に、アートは日常の身近なモチーフを切り取ったり、アイコニックかつ時代を象徴するようなモノを対象にするなど、表現のスタイルが新しく、かつ大胆に変化したのだ。またそれと同時に、そうした潮流の中で、ストリートアートやパフォーマンスといった実験的アンダーグラウンド・アートや、コンセプチュアルやミニマルのような、純粋で抽象的なアートも一気に出現した。
アート界においては“新たな時代の幕開け”とも言える時期に、NYのアートシーンを目撃していた、ヴォーゲル夫妻。「作品の良し悪しはわからなかったが、とにかく斬新だった」と語るように、1960年代のNYのアートシーンは、新しく斬新な表現が次々と生まれるムードに包まれていたに違いない。
ヴォーゲル夫妻は、この時代の空気の中で、アートの魅力や目新しさのみならず「誰もやったことがない領域にチャレンジする」ということにも、大きな魅力を感じたと語っている。

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そして、この時期にさまざまなアートに触れる中で、ジョン・チェンバレンの作品との出会いが一つの転機となり、夫妻はコレクターとしての人生を本格的に歩み始めることになる。それから1965年にソイ・ルウィットの作品を購入したことを機に、コレクションの方向性も、ミニマルとコンセプチュアルに定まったという。
2)アートへの向き合い方や情熱が伝わる、多数のエピソード
コレクター人生が始まって以来、ヴォーゲル夫妻はギャラリーやミュージアムに熱心に通い詰めたというエピソードがある。劇中にはそうしたふたりの日常に密着したシーンが数多く登場するので、こちらもぜひ注目したい。
ハーブは日中は郵便局に勤務する、一見ごく普通の公務員に見えるが、仕事を終えた後は一転して、コレクターの顔に!どこへ出かけるにも必ず妻のドロシーを連れ立って、昼夜を問わずほぼ毎日新しい表現、アートに情熱を注ぐ素晴らしい人々との出会いを求めて、街に繰り出すのだ。
「素晴らしいアートは何一つ、絶対に見逃したくない」とでも言うように。

画像引用:https://brutus.jp/
そんなふたりの様子と、アメリカの主要スポットをカメラが追うシーンからは、純粋にアートを愛する夫妻の想いが、ありありと伝わってくる。また、その中には美術館やギャラリーに加えて、当時のアーティストたちの行きつけの店で、ジャクソン・ポロックも常連客の一人だったというナイトバーでの一コマ、NYのアートギャラリーの先駆けであったSOHOの当時の様子も映し出されている。これらのシーンからは、1960年代のアートシーンに一瞬タイムトリップしたような感覚を覚えるかもしれない。
さらに、建造物や自然を「梱包」するダイナミックなインスタレーションで知られる、クリストとジャンヌ=クロード夫妻も登場し、ヴォーゲル夫妻との思い出を語るという貴重なシーンも!

画像引用元:https://archleague.org/
この他にも、ヴォーゲル夫妻と交流のあったアーティストや著名な美術家やキュレーターが多く登場するが、それぞれアートの専門家の口から語られるふたりの印象やアートに賭ける情熱、飽くなき探究心はまさに必見の内容だ。
美術館やギャラリー巡りをはじめ、アーティストとの交流といった豊富な人脈と旺盛な交友録に加えて、ふたりはアート関連の書籍に片っ端から目を通す姿勢も忘れなかった。こちらからは「アート情報収集のプロ」としての顔が垣間見える。やはり第一線の情報をもつプロたちと繋がりや信頼関係、さらにアーティストらの生の声に直に耳を傾けるといった探究心が、随一の目利き力や、いち早く素晴らしいアートに巡り合うチャンスに繋がっていたのだろう。

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アートを知り、楽しむ上で知識、人脈、情報は「かけがえのない価値になる」ということを、この映画は教えてくれているようだ。
3)オークションシーンの登場!
映画の中ではなんと、オークションのシーンも登場する。
夫妻がコレクションを始めたばかりの1960年代初期は、アーティストと買い手の間のごくプライベート交渉、いわば言い値で価格が決まっていたそうで、個人の収入に合わせた価格設定でアートが購入できた時代であったという。

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しかしその後1980年代にアート市場がバブルとなり、アートに投資する人も増え、作品の値が驚くほど高騰した。それとともに、アート市場に興味を持つ人も増え、それとともにアートオークションが盛んになったのだ。しかしその後すぐに、突然の経済の暴落がアメリカを襲う。
ただ、アートを純粋に愛し、購入した作品を大切に所有し、ただの一点も売ることをしなかった夫妻は、その影響の波にのまれることは一切なかった。
当時のTV取材に応じるシーンがあるが、その中でも、
「僕たちは金儲けでアートを売買したりはしない」
「私たちは大切で愛着のある作品を売らないから、市場の動向とは関係ないの」
と発言しており、アートに対する愛と情熱が一貫して貫かれている姿勢がはっきりと窺えた。アートに対するスタンスや向き合い方は人それぞれで百人百様だが、自分たちの生き方や価値観にどこまでも忠実でまっすぐな姿勢から、何かしらのメッセージを受け取ることができるだろう。

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4)数々のメディアに登場。一躍、アート界の時の人に!
ヴォーゲル夫妻は、コレクターを始めた初期の段階から業界内で注目され、業界においては、「知る人ぞ知る人物」であった。しかし一躍時の人となり、その名が一般にも広く知れわたるようになったのは、実は前述のアートバブル以降のこと。
ウォール・ストリート・ジャーナルをはじめ、ピープル、コスもポリタンなど、あらゆるメディアから取材依頼が殺到し、それとあわせて露出も一気に増えることになったからだ。またそれにより、ふたりの主催による展覧会も開かれるようになった。

画像引用元:https://openers.jp/
ただ、そうした一見華やかなイメージと知名度に関係なく、ふたりの生活は当初から変わらず慎ましく、NYのアパートメントを借りて、愛猫とともに暮らし続ける。
著名人になってからも生活スタイルを一切変えることなく、ふたりにとって心地よく、身の丈に合った生活を続ける姿は微笑ましく、温かい気持ちにさせられる。
5)貴重なコレクションをナショナルギャラリーに寄贈
映画のラストでは、ヴォーゲル夫妻が、およそ2千点にも及ぶ貴重なコレクションを、ナショナル・ギャラリーに寄贈するというシーンが登場する。
心からアートを愛するふたりは、そのコレクター人生において、大切な作品を手放すことはただの一度もなかっただけに、「一体なぜ!?」という驚きが一瞬、心の中をよぎる。しかしその先を鑑賞していけば、なぜふたりがそのような大英断に至ったのか?ということが、見えてくる。

画像引用元:https://4travel.jp/
実は、ふたりが結婚後、初めて訪れた場所も、ワシントンD.C.にあるナショナル・ギャラリーだった。そんな思い入れのある場所に、大切な作品をすべて寄贈することになった、そのワケとは??
ぜひ映画をご覧いただき、その理由をご自身で確かめていただけたらと思う。
〜まとめ〜
比類なきコレクターとして、その人生を現代アートの蒐集に捧げたヴォーゲル夫妻。
映画の中でも、「結婚してから45年ずっと一緒。一緒にいなかったのは数日だけ」という妻・ドロシーの発言もあるように、チャーミングなふたりは常に愛するアートという共通する情熱の対象を追いかけながら、互いに寄り添い、理解し合うことで、まさに“二人三脚”で、コレクター人生を歩んできた。

画像引用:http://www.outsideintokyo.jp/
ハーブ&ドロシー。このふたりでなかったら、これほどの偉業は成し得なかったかもしれないーー。そんな風に思わせてくれる映画である。
そして、そんな目利きのふたりに才能を見出されることによって世に出ることにアーティストも多く、そうした人たちとの温かく、深い信頼で結ばれた関係性には、心揺さぶられるものがあるだろう。
アートやコレクションに興味のある方に、真っ先にオススメしたい映画である。
ドキュメンタリー映画『ハーブ&ドロシー アートの森の小さな巨人』
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文/小池タカエ