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ヴィデオ・アートの先駆者の足跡を辿る「Viva Video! 久保田成子展」が開幕

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映像と彫刻を組み合わせた「ヴィデオ彫刻」で知られ、ヴィデオ・アートの先駆者の重要人物のひとり、久保田成子(1937-2015年)。そんな彼女の生涯の活動と軌跡を振り返る、没後初の個展「Viva Video! 久保田成子展」が東京都現代美術館で幕を開けた。

1964年にニューヨークに渡って以来、世界的に展開された前衛芸術運動「フルクサス」への参加をはじめ、世界を舞台にヴィデオというメディアの黎明期の中心的的存在として活躍した久保田だが、実はその功績はあまり広く知られてはいない。

本展では、最新かつ文脈に沿った研究成果をもとに、代表的なヴィデオ彫刻、ドローイング、スケッチや資料などにより、久保田成子の残した偉大な功績を多角的な視点から紐解く試みがなされている。全7章から構成される本展の見どころを、ピックアップしてご紹介したい。

60年代に興った前衛芸術運動「フルクサス」のメンバーとなって活躍

展覧会の導入、第1章〜第3章までは、久保田の新潟での生い立ちと東京での活動、さらに1964年に渡米してフルクサスの活動に加わって以降、国際的なアーティストたちの交流を通じて様々な実験的試みをおこなって行く様が紹介されている。

1937年、新潟に生まれた久保田は、彫刻家を志して東京教育大学(現・筑波大学)で学んだ。1960年に大学を卒業すると、東京の前衛美術のコミュニティに参加するようになる。前衛舞踊の第一人者として活躍していた叔母の邦千谷からのつながりで、グループ音楽やハイレッド・センターのメンバー、オノ・ヨーコ、ナムジュン・パイクらと知り合い、交友を深めていった。(後には、ナムジュン・パイクと公私にわたってのパートナーとなる)

これらの貴重な人脈的つながりは、作家のスタートとしてはとても恵まれた環境であったに違いない。しかしその一方で、日本での女性アーティストの活躍の場が限られていることに失望した久保田は、ニューヨークへの移住を決意。その後、前衛芸術家集団「フルクサス」への参加を契機に、アイロニカルでウィットに富んだ作品を発表していくようになる。

久保田は新天地で、フルクサスの代表であるジョージ・マチューナスと協働しながら初期の代表作、オブジェ《フルックス・ナプキン》(1965年)や《フルックス・メディシン》(1966年)を制作・発表した。

その後、1965年7月に行われた「永続的なフルックス・フェスト」では、当時の恋人であったナムジュン・パイクの提案で、女性器に筆を挿して描いたように見せるパフォーマンス、《ヴァギナ・ペインティング》を披露し、大胆な芸術家として一躍脚光を浴びるようになる。

このパフォーマンスは当時、一部のあいだで悪評を呼んだ。しかし現在は美術史や社会文化史の観点から、評価の見直しが行われている。なぜなら昨今議論が活発な「フェミニズム」の文脈からも、決して無視できない象徴性を孕んでいるからだ。

3章までは、久保田の初期の活動の履歴を振り返るとともにこれまで公開されていなかった様々な作家との交流を示す写真や手紙など、貴重な資料が中心の構成となっている。

マルセル・デュシャンにインスパイアされ、「デュシャンピアナ」シリーズを発表

第4章「ヴィデオ彫刻の誕生 デュシャンピアナ」では、これまでの映像表現の技法から一歩進んで、より造形的な要素を表現の中に取り込もうと試みていた時期に制作された、いくつかの重要作品を紹介している。

《ヴィデオ・ポエム》(1970−75/2018)久保田成子ヴィデオ・アート財団蔵

1968年にマルセル・デュシャンと偶然の出会いを果たした久保田は、1970年にマルセル・デュシャンとジョン・ケージのチェス・コンサート「リユニオン」を題材とした音声記録付き作品集《マルセル・デュシャンとジョン・ケージ》を発表。その後、マルセル・デュシャンへのオマージュとして、のちに久保田の代名詞となるヴィデオ彫刻「デュシャンピアナ」のシリーズの制作をスタートさせた。

《デュシャンピアナ:ヴィデオ・チェス》(1968-75)久保田成子ヴィデオ・アート財団蔵

本章では、1975年にニューヨークでの個展の機会を得た久保田が、床から天井までモニターを積み上げ、さらに鏡を使って映像の連なりを表現した作品《デュシャンピアナ:マルセル・デュシャンの墓》、さらには、マルセル・デュシャンの油彩画を引用しながら階段を降りるヌード女性の映像を階段のなかに組み込んだ《デュシャンピアナ:階段を降りる裸体》(1975-76/83)などを目にすることができる。

《デュシャンピアナ:マルセル・デュシャンの墓》(1972−75/2019)久保田成子ヴィデオ・アート財団蔵

《デュシャンピアナ:階段を降りる裸体》(1975-76/83)富山県美術館蔵 

これら一連の作品で気づくのは、久保田が目指した新たな表現形態――「ヴィデオ彫刻」とは、観る者が画面の前に座り続けなければならない、という従来の上映形式を鮮やかに覆した、ということである。鑑賞者がまわりを自由に行き来し、好きな場所・好きな角度から作品と関係できるシリーズは、見る者が能動的に情報を受け止めることができる、という点で、「従来のものごとの新たな認識のしかた」に揺さぶりをかけているようだ。

久保田にとって普遍的なテーマであった、「自然と円環」

続く、第5章では「自然と円環」をテーマに、山や川など自然モチーフを多用した作品に出会うことができる。

仏教徒の家系に育った久保田にとって川、そしてその中心を流れゆく「水」は、幼い頃からの精神的支柱であり、それゆえに作品の構想を練る上でのインスピレーションの源であったのだろう。事実、久保田の作品には、川や滝など、水をモチーフにしたテーマの作品が多くある。

そうした自身の自然観を、次のような言葉で述べている。

「仏教の中心にはいつでも川が、走る水があり、仏陀、石の仏陀はいつも雨に打たれている。一粒の雨がせせらぎになり、せせらぎが川になる。自然の中で水が演じる役割は、私たちの人生でヴィデオが果たす機能になぞらえることができる。川の物理的/時間的特性、そして情報伝達や省察といった「鏡」的な性質は、ヴィデオの中で再現されている。

本セクションでとくに印象的だったのが、《河》(部分)。こちらは折り紙の笹舟を模した金属彫刻の中の水が波打ち、そこに逆さ吊りにされたモニターの映像が映り込んで絶えず揺れ動く様子を表現した作品である。

《河》(1979-81/2020)久保田成子ヴィデオ・アート財団蔵

《河》(部分)

川は久保田にとって変化し続ける世界のありようを表すものであり、ヴィデオを使い始めた当初から、各地の川や運河を撮影していたという。

もう一つは、 《デュシャンピアナ:自転車の車輪1,2,3》(1983-90)である。こちらはマルセル・デュシャンによる1913年の最初のレディメイド《自転車の車輪》を引用して制作されたもので、車輪には小型のモニターが取り付けられている。

《デュシャンピアナ:自転車の車輪1, 2, 3》(1983-90)公益財団法人アルカンシエール美術財団/原美術館コレクション 撮影:森田兼次

久保田にとって、車輪は始まりも終わりもない「円」の象徴であるとともに、前述の「水」と同様、片時も止まることのない、普遍性の象徴であったのだろう。

空間と時間の概念を拡張させた、実験的な試み

第6章「空間への広がり 複合的な物語へ」では、1980年代を境に、表現の中に新たにプロジェクターを取り入れたことにより、ヴィデオ彫刻が空間的にも時間的にも拡張していった様子を紹介している。

本章では、パートナーのパイクとともに韓国を訪れた旅先で目にして衝撃を受けたことから着想を得て制作したという作品、《韓国の墓》(1993)の印象的な作品にぜひ注目したい。

左:《韓国の墓》(1993)/右:《ナイアガラの滝》(1985/2021)久保田成子ヴィデオ・アート財団蔵

その時、久保田が目にしたのは墓石がなく、どこからどこまでが墓と地面の境界なのかわからない墓だったという。そうした韓国の伝統的な墓を模して制作された本作は、ドーム状の構造物にはモニターが埋め込まれており、さらに表面には鏡の突起が取り付けられている。

家系的に仏教的な思想を受け継いだ久保田にとって、死は恐怖の対象でも忌むべきものではなく、むしろ生と陸続きの、身近な存在であったのだろう。死後の世界を象徴する「墓」をモチーフにした本作は、そんな彼女の死生観さえも雄弁に物語っているかのようだった。

本章ではこの他にも、フィギュアスケート選手をモデルにした《スケート選手》(1991-92年)や、ナイアガラの滝の10台のモニターによって水面に映し出される様子を描いた《ナイアガラの滝》(1985/2021年)を目にすることができる。

《スケート選手》(1991-92)久保田成子ヴィデオ・アート財団蔵

《ナイアガラの滝》(部分)

これらの作品からは、80〜90年代にかけて、久保田がヴィデオアートの表現を通して、空間的、時間的広がりの領域にまで高めていたことがうかがえる。それらの表現の拡張は、この時期「プロジェクター技術」と出会ったことも大きかったのだろう。

公私ともにパートナーとなった、パイクに捧げた最期の愛の物語

最終章では「芸術と人生」というテーマで、久保田の晩年の活動に触れるとともに、パートナーであるパイクの看病の中で制作された作品、《セクシュアル・ヒーリング》(1998)を紹介している。

2006年にパイクが亡くなるまでの10年間、久保田は自らの表現活動をセーブしながらも夫を全面的にサポートした。そんな愛する夫・パイクに捧げた渾身の作品も、ラストでぜひチェックしてほしい。

《セクシュアル・ヒーリング》(1998)映像提供:エレクトロニック・アーツ・インターミックス(EAI)

まとめ

映像と彫刻を組み合わせた「ヴィデオ彫刻」という新しいジャンルを切り開き、生涯にわたって独自の表現への挑戦を続けた、久保田成子。本展ではそんな久保田の作品を通じて、彼女の果敢な創作意欲やその足跡に触れることができることができる、またとない機会となっている。

また、彼女の足跡に触れることで、今現代アートでも見逃せないフェミニズムの文脈からも、なにかしらのメッセージを受け取れるのではないかと思う。会場にならぶヴィデオ彫刻はもちろん、残された貴重なメモやスケッチなども目に留めてみることで、久保田の本当に伝えたかったメッセージーー声なき声に耳を澄ませてみたい。

展覧会概要

Viva Video! 久保田成子展

会場:東京都現代美術館 企画展示室 3F
会期:2021年11月13日(土)- 2022年2月23日(水・祝)
休館日:月曜日(2022年1月10日、2月21日は開館)、12月28日-2022年1月1日、1月11日
開館時間:10:00-18:00(展示室入場は閉館の30分前まで)
展覧会HP:https://www.mot-art-museum.jp/exhibitions/shigeko_kubota/

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取材・文:小池タカエ