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アート鑑賞

【アート×映画 vol.4】ピカソの天才の秘密に迫る、貴重な秘蔵映像が満載!『ミステリアス ピカソ 天才の秘密』

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「画家は一体、どんな風に絵を描いているのだろう?」

そんな風に思ったことはないだろうか。

とくに巨匠と呼ばれる画家ほど、作品そのものから受ける強い印象のみならず、その舞台裏、制作過程も含めて知りたくなるもの。作品が生まれるまでの背景に、「何か特別な秘密があるに違いない」と勘ぐってしまうのは、おそらく筆者だけではないだろう。

今回ご紹介したい映画は、そんな秘密に一歩迫るパブロ・ピカソの創作の現場を記録した歴史的ドキュメンタリー、その名も『ミステリアス ピカソ 天才の秘密』(1956年 カンヌ国際映画祭 審査員特別賞作)である。

本作はピカソ本人の全面協力によって実現した映画ということもあり、本人の肉声をはじめ、本作でのみしか観ることのできない貴重な絵画の数々が登場する。そこで今回は本編の中から、5つのポイントに絞って見どころを紹介していきたい。

1)全ては一本の線から始まる

本作は、ピカソの絵を描くプロセスを映し出すシーンによって構成されている。これら複数にまたがる数の絵画創作のスタートは、一部の例外はあるものの、いつも何もない空白のキャンバスに点としての筆が置かれ一本の線が引かれることからスタートする、という当たり前の事実に気づかされる。

これはふだんから様々な西洋美術に触れる機会のある人たちにとって、新鮮な驚きをもたらしてくれるかもしれない。なぜなら、すでにイメージの中で出来上がっている見慣れた絵画形式の中からは想像しがたい、ゼロからのプロセスを目の当たりにするからだ。

「はじまりの線」はいつだってマジカルで、未知の可能性に溢れている。アーティストたちにとってはおそらく、大きなインスピレーションの源となっているのだろう。そのことを示唆するかのように、映画では一本の線が次の線を、そしてまた次の線をまるで呼び水のごとく導き出し、それらはやがて縦横無尽、上下左右に重なり合って、ダイナミックな集合体を生み出してく。

画像引用:http://blog.livedoor.jp

また、ある時には、線の連続とは打って変わって、丸、四角が突如登場することもある。

しかし、そんな「予測のつかなさ」もまた一興。次の手を視聴者に読ませない奇想天外さと大胆さこそピカソの魅力なのだと、妙に納得させられてしまう。

とはいえ、常に全体の構図のバランスの中で次なる精鋭の一手が選ばれているということは、スクリーン越しからもよく伝わってくる。その瞬発力と描くスピード、さらに迷いのなさには全く目を見張るばかりだ。

そのような冴えわたる筆致は、やがて立体をも浮かび上がらせていく。一次元の点から始まる線はやがて二次元の面となり、最終的には三次元の立体を画の中に表出させるのだ。

本編を見ていると、このように大胆不敵な実験のもとにピカソ独自の次元構造の表現が生まれたことが見えてくるようだ。キュビスムは、こうして生まれたのだろうと。

2)天才は、描くスピードも速い!?

さて前述の「手の速さ」、描くスピードについて触れるならば、おそらく世界中に数多いる画家の中でもピカソは群を抜いた圧倒的な存在、と言えるのではないだろうか。

事実、ピカソは91年の生涯を通して後世に残る傑作を多く残したことで知られており、その数は生涯で1万3500点の油絵と素描、10万点の版画やエッチング(銅版画)、その他にも挿絵、彫刻、陶器と、その総数はおよそ約15万点にも及ぶとも言われている(世界で最も多作な美術家であるとギネスブックに認定されているほど)。

こちらの映画では、そんなベールに包まれたピカソの圧倒的多作の秘密に一歩も二歩も迫ることができるかもしれない。

「筆に任せる」という言葉があるが、ひとたびピカソの手にかかれば、まるで手が全てを、そして向かうべき行き先を知っているかのように勢いよく、自由かつダイナミックに、完成へと向かって一気呵成に突き進んでいくかのようだ。まるで何かに駆り立てられるように。そしてほとばしる才能の昇華する先、溢れるばかりのエネルギーの出口を探しているかのように。

またそれとともに「手は体の外に出た脳」という言葉をふと思い浮かべてしまう。脳の動きは手の動きとも連動していると言われているが、ピカソの筆致を見ているとこの偉大な画家の思考プロセスさえも覗き見ているような気分にさせられる。これもまた映画を味わう上で、スリリングな体験だった。

3)“ライブペインティング”を彷彿とさせる、ピカソの魅せ方

また、この映画で注目したい要素の一つに、ピカソのペインティングに合わせて選ばれている数々のBGMの存在がある。音楽はジャズや伝統音楽、クラシックと様々であるが、ジャンルを横断して流れるこれらの音は、ピカソの自由な創作スタイルにも似て、作品ができていくプロセスの、絶妙なスパイスとなっているかのように思える。

緩急があり、リズミカルに鳴る音さえも聞こえてくるかのような軽快な筆致は、まさに即興によって織り成されるジャズのセッションを思わせるようでもある。そんな風にして重なり合う絵と音の即興表現の妙は、ぜひ本編にて実際に感じていただけたらと思う。

また、これと関連して立ち上がってくるのが、パフォーマーとしてのピカソの姿である。

ピカソは多くの作家たちと同様、アトリエにこもって制作に集中することも大切にしていたが、その一方で「魅せる」達人でもあった。どんなに良い作品をつくったとしても人に知られることがなかったら、それはあまりにも悲しい現実だということを、実によく理解していたからだ。

画像引用:http://ita3ango.jugem.jp

その意味で、ピカソは今でいう「発信」の重要性を他のどの芸術家よりも心得ていたと言ってもいいだろう。

なめらかに線を引く所作の美しさは、ピカソが生来器用であったであろう事実を裏づけるとともに、一つ一つの動きや「プロセスを見せる」、ライブパフォーマンスを彷彿とさせるよう。

作品のクオリティに対する評価もさることながら、ピカソにとってはその制作過程を「魅せる」ことも計算ずくだったのかもしれない。本編に登場する一コマごとの遊び心溢れる楽しげなシーンからは、ピカソのそんな隠れた意図さえも伝わってくるかのようだ。

4)色彩の魔術師、マティスの影響を感じられるシーンも!

映画の中には、線が重なっていく様子ばかりでなく、豊かな色彩が描かれていく様子も登場する。最初にこのシーンを目にした時、一瞬「あれっ、何かに似ている」と既視感を覚えた。

それは、マティスの色彩感覚を思わせるものであったからだ。

画像引用:https://ameblo.jp

ただ、よく考えてみればそれもよく頷ける話である。なぜならピカソは、マティスとも深い親交があったからだ。

ピカソは第二次世界大戦の終結後、1947年頃からそれまで拠点にしていたパリの地を離れ、明るい陽光が輝く南仏、コート・ダジュールの地に移り住んだ。そこで出会ったのが、色彩の魔術師との呼び名も高い巨匠、アンリ・マティスであった。

生活の場が南仏に移ってからは多くの著名人たちがピカソを尋ねてきたというが、一方でピカソが自ら出向いたのは、たった一人、マティスだけだったという。

このことは、かつてピカソのパートナーであり当時をよく知るフランソワーズ・ジローも「とくに色彩論において、ふたりは実に活発な意見を交わしていた」と言及していることからも読み取れるだろう。

天才ピカソとはいえ、自分が尊敬し慕う人物には、自ら積極的に教えを乞うたのかもしれない。同時代を生きた巨匠たちのリアルな交友録は本人たちのみぞ知ることだろうが、残された作品の中には、何かしらの痕跡がたしかな形となって結実している。

5)ピカソの情熱の対象であった、「闘牛」モチーフも多数登場!

ピカソは生涯を通じて様々なモチーフに挑戦したが、中でも好んで選ばれたのが「闘牛」のそれである。ピカソの闘牛好きはよく知られていること。映画の中にも闘牛をモチーフにしたペインティングの創作過程が多く登場するが、これらはその事実を物語っている一つの証であろう。

画像引用:https://www.art-frame.net

なお、ピカソが闘牛を題材として多くの作品を手がけるのは次の二つの時代に集中していていたことも追記しておきたい。一つは「変貌と暴力の時代」と呼ばれ、《ゲルニカ》へと収斂する1930年代前半、そしてもう一つは、第二次大戦後、南仏を生活の舞台とした晩年である。

とくに後者の時代は、純粋に闘牛を楽しみつつ、遊び心溢れる作品を多く残しているのが特徴的だ。南仏に拠点を構えていたピカソは、時折ニームまで足を延ばして闘牛を観戦したという。ピカソが陶器制作に打ち込んだヴァローリス期の器にとくにしっかりとその情熱が刻まれている

スペイン出身のピカソにとって、闘牛はDNAレベルで求めずにはいられない、熱烈な情熱の対象だったのかもしれない。

ヨックモックミュージアム

なお、ピカソの陶器(セラミック)作品のエディションを多く収蔵する世界でも有数のコレクションを誇る美術館、東京・青山のヨックモックミュージアムでは現在、企画展「地中海人ピカソー神話的世界に遊ぶ」が行われている(〜2022年9月25日まで)。本展では、ピカソが晩年熱心に創作に励んだ陶器の展示だけでなく、ピカソの冴えわたる筆致が感じ取れる貴重な展示作品を目にすることもできる。知られざるピカソのなめらかで美しい筆致を感じられる一コマを、ぜひこの機会に目にしてほしい。

まとめ

天才は天才ゆえに、死してなおその伝説が語り継がれるものだが、真実は永遠に解き明かされることはない。しかし本作を鑑賞すれば、そんなピカソの天才の秘密の一端をわずか一瞬でもつかんだような気持ちにさせられるかもしれない。

そして天才とはいえ、チャーミングな語り口が感じられるシーンからはどこか身近さも感じさせ、一人の人間としてのピカソの奥ゆきを味わう意味でも、楽しめるポイントが多いことに気づく。

とはいえ、何より巨匠・ピカソのあまりにも貴重な筆致を目にすることに重きを置いて、まずは気楽な気持ちで本作をご覧いただけたらと思う。

画像引用:https://page.auctions.yahoo.co.jp

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文:小池タカエ