
【アート×音楽 vol.4】音とイメージをめぐる表現の探求。「クリスチャン・マークレー トランスレーティング[翻訳する]」レポート
アートと音楽が交わり、重なりあうところに、何が生まれるのか。現代アートと音楽の関係性を読み解く連載。第4回は、視覚と聴覚をめぐる探求を続けてきたクリスチャン・マークレーの国内初となる大規模展覧会をとおして、表現をめぐる「Translating [翻訳する/変換する]」について考察する。
クリスチャン・マークレーとは?
クリスチャン・マークレー(Christian Marclay)は、1955年アメリカ・カリフォルニア生まれ、スイス・ジュネーヴ育ちのアーティスト。1970年代、ターンテーブルを使った即興演奏で脚光を浴びた。1980年代以降は聴覚と視覚の結びつきを探る作品を発表、美術の分野にも活動の幅を広げる。さらには映像作品も手がけ、《ザ・クロック》(2010)で第54回ヴェネチア・ビエンナーレ金獅子賞を受賞。音楽の分野でも重要な活動を続けながら、世界各国の主要美術館で個展を開催している。

Photo by The Daily Eye
「トランスレーティング」とは何か
翻訳というと、ある言語から異なる言語への文字上の変換をまず思い浮かべる人が多いだろう。言語の違いという壁を乗り越えるための、情報伝達の手段である。
しかし、2020年から2021年にかけて21_21 DESIGN SIGHT(東京都・六本木)で開催された企画展「トランスレーションズ展 −『わかりあえなさ』をわかりあおう」では、ディレクターを務めたドミニク・チェンの「翻訳はコミュニケーションのデザインである」という考えに基づき、翻訳という行為を「互いに異なる背景をもつ『わかりあえない』もの同士が意思疎通を図るためのプロセス」として捉えていた。
2021年11月20日から東京都現代美術館(東京都・清澄白河)で開催している本展「クリスチャン・マークレー トランスレーティング[翻訳する]」もまた、単なる言語の変換という意味を超え、「ある感覚を別の感覚に置き換えることで世界を読み解こうとするマークレーのユニークなアプローチ」(展覧会リリースより引用)に対して「Translating(翻訳する、変換する)」という語をテーマに当てている。

開幕に際して開催された記者会見で、マークレーは語る。
言語をコミュニケーションの手段として使うとなると、かなりの正確性が求められます。書くにしろ話すにしろ、明確な言葉で自分の考えを説明しなければなりません。実際には言語化の過程で、さまざまなものが失われることもあります。
しかし、イメージの世界における別の表現方法であれば、言葉によって規定される正確性から多少解き放たれ、言葉にできないものを表現することができるのかもしれないと考えています。大きく分けて音楽と視覚芸術の領域で制作してきましたが、実際には分野に縛られることなく、分野を超えて表現していきたいと思っています。
また、大きな展覧会を開催するにあたり、今自分が見ているもの、今ここにあるものを見せたいという気持ちが強く、回顧展として過去だけを振り返ることはやりたくなかったんです。過去の作品をどう見せるかが課題でしたが、「トランスレーティング」というキーワードを設定したことによって、過去の作品を別の角度から見つめ直し、ひとつの対話の中に組み込んでいくことができました。
「トランスレーティング」をテーマに、1970年代末の活動初期から現在に至るまで、マークレーのキャリアの全貌を振り返る本展。マークレー自身の言葉と合わせて、音とイメージをめぐる作品のいくつかをピックアップして紹介する。
「翻訳」されることで進化し続ける作品
最初の展示室に入ると、壁にぐるりと一本の黒い線が引かれている。近づいてよくよく見てみると、実は連なった文字だった。


《ミクスト・レビューズ》(1999-)は、文字通り「翻訳する」ことによって成立している作品。マークレーが得意とするサンプリング(既存のものの一部を切り出し、新たな作品の一部として用いる手法)により、音楽にまつわるレビューから切り出した記述を再構成して文章がつくられている。
音を文字で表現しようとする記述自体が、音から言語への「翻訳」であり、続いて文字から文字への「翻訳」が重ねられることによって、もとの意味から離れていく。あることを伝えようとする努力によって、反対にそこから遠ざかってしまうという矛盾と、翻訳の不可能性を思い知らされる作品だ。
各地で展示されるたびに、その国の言語に翻訳され、次の展示ではその翻訳された文がさらに翻訳され、伝言ゲームのように少しずつ変化していく。完成形を持たず、進化し続ける生き物のような作品です。
翻訳を重ねる中で、本来あった意味は失われるかもしれませんが、その変化自体に重きを置いています。翻訳という行為が持つ「情報が失われる」という性質に興味があるんです。
日本のマンガの「オノマトペ」に影響された作品
本展には、日本文化の影響が見て取れる作品も多い。マークレーがミュージシャンとして初めて来日したのは1986年、30代になってからのことだが、子どもの頃からマンガを読み、オノマトペに興味を抱いていたという。オノマトペとは、「キラキラ」「ザーザー」「ワンワン」など、聞こえる音や物事の状態を表現する言葉。日本語は特にオノマトペが豊かな言語として知られている。
《マンガ・スクロール》(2010)は、アメリカ向けに翻訳された日本のマンガからオノマトペを切り抜き、横に長く繋げた「音のコラージュ」を絵巻仕立てにしたもの。音と文字の独特な関係性が表れているだけでなく、絵巻から始まるマンガのカルチャーの歴史が、1枚の紙の上に凝縮されたような作品だ。


右《バシン!カチカチッ!》(2011)
オノマトペは無理やり音を翻訳しようとするものなので、実際の音を正確に表わせているわけではないこともありますが、実際の音を想像させるヒントにはなっています。
日本のマンガには、西洋のマンガよりも効果的にオノマトペが使われていると思います。オノマトペが表現に飲み込まれる形で描き込まれており、絵と文字が一体化しているように見えました。
マンガにおけるオノマトペは、文字をグラフィックとして捉えるという点で、書道や、今回展示している掛け軸や絵巻のように仕立てた作品にもつながっています。
同じくオノマトペを活用しながら、別のアプローチで制作されているのが《アクションズ》シリーズ。アクション・ペインティングとポップアートが混ざりあったような大画面のキャヴァス作品3点が展示されている。


このシリーズは、オノマトペを楽譜に見立て、音を出すパフォーマンスをしながら絵具で色をつけたあと、もとの楽譜となったオノマトペの文字をシルクスクリーンで刷るという、複数のトランスレーションを経て制作された。完成した作品は音を発するわけではないが、今となっては聞こえない過去の音をなくしては存在しなかったものである。時間とともに消えていく音が、たしかに絵とともにあったことを証明しているようだ。
現代の不安を反映する作品
「次回はぜひマスクなしで皆さんと顔を合わせたいです」と記者会見を締めくくったマークレー。コロナ禍の2020年、隔離生活中に制作された「フェイス」シリーズ(2020)には、孤独の中で考えたことが反映されているという。アシスタントもいない状況で、ひとりでもできる基本的な方法に立ち返ろうと、紙、ハサミ、のりといったシンプルな道具が採用された。

マスクをして顔が半分になった人々からは、これまで制作してきたコラージュ作品を思い起こすこともあったという。日々の生活と創作が結びついた、アーティストらしいエピソードだ。
本展には、支配的な男性の上半身と無名の女性の下半身を組み合わせた《ボディ・ミックス》シリーズ(1991-1992)や、切断した数々のレコード盤を貼り合わせた《リサイクルされたレコード》(1979-1986)など、マークレーが繰り返し取り組んできたコラージュ作品が多数展示されている。


また、マンガから引用したイメージのコラージュである「叫び」シリーズ(2018-2019)には、コロナ以前から人々の間に広がる「時代への恐れ」が表現されている。文字は描き込まれていないが、大声が響いているような気がしてくる迫力ある作品だ。

最近の作品には、これまでにないくらい色々なものを「怖い」と感じる時代になった、という気持ちが反映されていると思います。民主主義の中で暮らしてきた私たちの自由が脅かされる恐怖や、人種差別などの社会課題に、アーティストとしてどのように反応していくのか。それが、作品の根幹にある大きなもののひとつとなっています。
この時代に対して、説教めいたメッセージを伝えようという意図はありません。私の作品はすべて観客に開かれており、観客がそれぞれどのように解釈するのかというところが重要です。これからも「開かれた作品」を作り続けたいと思っています。

他にも、映画の中の音楽シーンをサンプリングした映像が大画面に映し出されるインスタレーションなど、マークレーの世界観を全身で体感できる展示構成となっている。ミュージアムショップの奥にもひとつ作品が展示されているので、見逃さないようにしたい。
日本のマンガを思わせる作品も多く、前提知識がなくても十分楽しめる展覧会ではあるが、この機にぜひ「アート×音楽」の交差に考えをめぐらせてみてほしい。「Translating(翻訳する、変換する)」とは何なのか、あるものをどう表現し、表現されたものをどう読み解くのか。こうした探求の先に、多様な人々と理解しあい、不確かな時代を生き抜いていくヒントが見つかるかもしれない。
展覧会概要
クリスチャン・マークレー トランスレーティング[翻訳する]
会期:2021年11月20日(土)~2022年2月23日(水・祝)
休館日:月曜日(2022年1月10日、2月21日は開館 )、年末年始 (12月28日-1月1日 )、1月11日
開館時間:10:00-18:00(展示室入場は閉館の 30 分前まで)
観覧料:一般 1,800円 / 大学生・専門学校生・65歳以上1,200円 / 中高生 600円 /小学生以下無料
*予約優先チケットはこちら
会場:東京都現代美術館 企画展示室 1F
公式ウェブサイト:https://www.mot-art-museum.jp/exhibitions/christian-marclay/
【アート×音楽】前回の連載記事はこちら↓
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文・写真:稲葉 詩音